2010年02月02日

第18講 「やれば、できる」

日本語

@やれば、できます。
Aやれば、できるよ。
B洗ったら、きれくなる。
C冬になれば、寒くなる。(なると)
D持ったら(持てば)、軽いです。
E持ったら、軽いですよ。
F話せば、分かります。
Gごちそうしてあげれば、機嫌も直るよ。

うちなあぐち

@しいねえ、ないびいん。(しいや)
Aしいねえ、ないさ(右同、なゆさ)。
B洗(あら)いねえ、ちゅらくなゆん。(洗いや)
C冬(ふゆ)んかい成いねえ、ふぃいくなゆん。(成いや)
D持(む)っちいねえ、軽(が)っさいびいん。(持っちいや)
E持っちいねえ、軽っさいびいさ。(右同)
F語(かた)いねえ、分かやびいん。(語いや、話しいねえ)
Gてぃでえいねえ、肝(ちむ)ん直(のお)ゆさ。(てぃでえいや)

【解説】
 日本語の条件や仮定を表わす助詞「―(すれ)ば」、「(―する)と」、「―(した)ら」等に対応するのは、「ねえ」や「や」です。「いちゃりば兄弟」という慣用句にある「ば」は日本語から借用した文語です(例、組踊「大川敵討」に「いきやへは、兄弟、何うち隔のあが」)(泊詞)。但し、本島では実際の会話では用いませんので要注意です。
 文例中の( )内の助詞「や」使いは都市部では殆ど耳にしなくなりました。地方では、特に年配者の間では、まだ健在ですが、「ねえ」が優勢になりつつあります。日本語系では「わ(は)」、「や」、「ば」は、入れ替わったりする事もありますから、「や」は「ば」の変形と考えられます。助詞を日本語から借用する事が多いのは八八八六調のるうか琉歌等において、土着語の助詞では韻がきれいに踏めないからです。
 糸満の諺、「意地ぬ出じらあ、手引き、手ぬ出じらあ、意地引き」にある「らあ」(直訳 意地が出れば手を引け、手が出れば、意地を引け。意訳 怒っても手を出すな、出が出しそうになったら、怒りを静めろ)は、どちらかと言えば、条件をより強く表わす意味合いがあり、日本語の「なら」に対応します(参考第17講)。ちなみに、「らあ」は「らは(元は『らば』)」の広い意味での合音です。
文語に使われる沖縄語の「ば」の例:「東、明かがりば、墨習れが、行ちゅん」。日本語訳「東(の空)が明るくなれば、墨(文字)を習いに行く」。(民謡「てぃんさぐぬ花」より)
 
【応用問題】
 次の日本語文を沖縄語文に直しなさい。
@夕方になったら、夕飯の支度をします。
A父は朝起きたら、掃き掃除をなさいます。
B散髪すれば、さっぱりします。
C電灯を点けると、明るくなるよ。
D汗をかくと、嫌なにおいがする。

答え:
@夕(ゆう)さんでぃないねえ、夕飯(ゆうばん)すがやびいん。
A父(すう)や朝(あさ)、起(う)きいねえ、掃(ほ)うちかちしみせえん。目上
B断髪(だんぱち)しいねえ、さっぱっとぅ、ないびいん。
C電灯点(でぃんとうち)きいねえ、明(あ)かがゆさ。
D汗(あし)ぬ走(は)いねえ、悪(や)な匂(かじゃ)すん。

註:「走ゆん」には「流れる」、「(立ち)去る」、「(汗等が)出る」、「(船等が)走る」等の意味があります。「悪な」はここでは「嫌な」という程度の意味です。「嫌」という当て字をする人もいます。

2010年02月02日

第17講 「―だが」、「―だけど―」、「だが、―」、「―しかし」

日本語

@今は良い天気だけど、午後は雨が降るかも。
A彼は年寄りだけど、白髪は少ない。
Bしかし、沖縄はまだ、暑いです。
Cだけど、来てくださいよ。
Dそうではあるが、もう、どうにもなりませんな。

うちなあぐち

@今(なま)あ、わあちちやしが、昼後(ふぃるあと)お雨(あみ)ぬ降(ふ)ゆる筈(はじ)。
A彼(あり)え、年寄(とぅす)い やしが、白髪(しらぎ)え、いきらさん。
Bやしが、うちなあや、なあだ、暑(あち)さいびいん。
Cやしが、来(ち)とぅらしよお。
Dやせえやしが、なあ、如何(ちゃあ)んないびらんさあ。

【解説】
「やしが」は日本語の「だが」、「けれど」に対応します。第14講で習った「しが」が存在動詞(日本語の形容動詞に近い)に付く場合の用法だと言えます。文頭で用いれば、日本語の「しかし」、「だけど」という意味に対応します。

例文@「天気」は通常は「わあちち」ですが、日本語の影響で「てぃんち(天気)」もあります。
例文A 「暑さいびいん」の「いびいん」は丁寧助動詞「やびいん」の変形で、多くの地方で「暑さやびいん」等と混在します。例文にある変形の方が首里の一部はじめ、那覇語系で広く使われています。特に存在動詞「やん」に「やびいん」を付けると「ややびいん」と「や」が連続するため、これを嫌い、「やいびいん」となるのが「一般的」になっています(勿論、いまだに「ややびいん」も残っています。『沖縄語辞典』の例文も原形で使われているケースがあります)。この変形が動詞や形容詞に付く場合も、受け継がれ「いびいん」となったのでしょうか。
「降ゆる筈」又は「降いる筈」(降るだろう、降るかもしれない)は「降いぬ筈」とも言いますが、「降いる」と「降いぬ」は、意味は同じですが、前者が体言に接続する連体形であるのに対し、後者は、無理に日本語に訳せば、「するのもの(すぬむぬ)」や「行くの人(行ちゅぬ人)」等における「の」に相当します。「降いる筈」の「降いる」は、「降ゆん」の連体形であり、「降いぬ」における「ぬ」は助詞です。私は、前者を連体形用法、後者を修飾用法と呼んでいます。私的経験では、ユン・ティ動詞(第29講)よりイン・ティ動詞(上同)使いを多くする地方では、後者使用の方が圧倒的だと思われます。なぜなら、「降いぬ」は良く聞かれますが、「降ゆぬ」は殆ど耳にしないからです。
例文B 「なあだ」は「まあだ」とも言いますが、糸満以外は、前者が優勢と思われます。
例文D 「やせえやしが」は、応用として取り上げました。「であることはであるが」という意味です。慣用句として覚えたいです。

  
【応用問題】次の日本語文を沖縄語文に直しなさい。
@子供なのだけど、良く知っています。
A沖縄人だが、沖縄の歴史は分かりません。
Bしかし、これは僕の仕事(註)だよ。

答え:
@童(わらび)どぅやしが、良(ゆ)う、知(し)っちょおいびいん。
A沖縄人(うちなあんちゅ)やしが、沖縄ぬ歴史(ろちし)え、分かやびらん。
Bやしが、くりえ、我(わあ)仕事(しくち)やさ。

註 「仕事」は、「仕事」の意味ですが、「わざ」は、具体的な「個々の作業」を意味する事が多いようです。

2010年02月02日

第16講 「―けど」を表わす「―しが」

日本語

@母は痩せていらっしゃるけど、いつも元気でいらっします。
A会社は近いけど、車に乗って行きます。
B風呂に入ったけど、直ぐに出たよ。
C僕は帰るけど、君はどうする。
D太陽は出ているけど、雨が降っているよ。

うちなあぐち

@母(あんまあ)や、ようがりとおみせえしが、ちゃあ頑丈(がんじゅう)やみせえびいん。目上丁寧
A会社(くぁいしゃ)あ近(ちか)さしが、車(くるま)んかい乗(ぬ)てぃ行(い)ちゃびいん。
B湯風呂(ゆふる)んかい入(い)っちゃしが、直(し)ぐに、出(ん)じたさ。
Cわん我ねえ、けえ帰ゆしが、いゃあ汝や、ち如ゃあ何すが。
D太陽(てぃだ、てぃいだ)あ、照(てぃ)とおしが、雨(あみ)ぬ降(ふ)とおんどお。

【解説】
 「―しが」は日本語の「―けど」、「―が」等に対応する接続詞です。第14講で習った「―くとぅ」が順接を表わすのに対し、「―しが」は逆接を表わします。
例文@は、「母や、ようがりとおしが、ちゃあ頑丈やみせえん」でも構いません。目上でなく、単に丁寧表現なら、「我ねえ、よう痩がりとおいびいしが、いち何時ん、ちゃあがんじゅう頑丈やいびいん」となります(上の例文では、「自分」を目上扱いする必要がないので、主語を「我」に変えました)。対目上文と単なる丁寧文との違いを次の例文で確認してください。なお、「あんまあ(母)」は庶民語で、士族語(ゆかっちゅ言葉)では、「あやあ」となります。ただし、「あんまあ」は地方によっては、三人称の「奥さん」の意味になります。また、遊郭等での女将にも言います。

●目上 あんまあや 痩うがりとお(みせえ)しが、何時ん、ちゃあ 頑丈やみせえ(びい)ん。( )内は省略しても良いです。)
●丁寧文 我ねえ 痩うがりとおしが 何時ん ちゃあ頑丈 やいびいん。

例文Aの「湯風呂」は「風呂」の慣用的な言い方です。

【応用問題】
 次の日本語文を沖縄語文に直しなさい。
@今日は寒いが、我慢できる。
Aテレビは良く見るけど、本は読まない。
B伯母さんは年取っているけど、見かけは若いです。
C私は痩せているけど、いつも元気です。
Dただだけど、買わない方が良い。

答え:
@今日(ちゅう)や、ふぃいさしが、にじらりいん。
Eテレビえ良(ゆ)う、見(ん)じゅしが、書物(しゅむち)え読(ゆ)まん。
F伯母(をぅば)まあや年取(とぅしとぅ)とおしが、ばじょうや若(わか)さいびいん。
G我(わん)ねえ、ようがりとおしが、ちゃあ頑丈(がんじゅう)やいびいん。
Hいちゃんだやしが、買(こ)うらんしえ、まし。
  
【附録ヤ系係助詞関連話題】
 ヤ系係助詞表記については、比嘉独特のものと思われがちですが、私が拙書『実践うちなあぐち教本』を世に出す遥か前に民謡歌手嘉手苅林昌さんが作詞した有名な民謡「時代の流れ」にも、私と同様な係助詞表記がなされている事に最近、気付きました。「んかし昔え じん銭ぬさんみん計算や-略-」(『正調民謡工工四第四巻』一九七八年発行)の部分です。半世紀ほども前にこのような合理的なヤ系係助詞表記の表記法があったとは、ただただ、その感性に感心するばかりです。




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