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方言か言語か (週刊レキオ 掲載 2006.05.25) | ||
日本語版 | うちなあぐち版 | |
〜認識の違いが復興運動を左右する〜 去る三月二十九日、県議会はうちなあぐちの普及促進を図るため、九月一八日を「しまくとぅばの日」にするとの県条例を可決した。県議会の南米調査団が移民一世の方々から諭【さと】されたのがそのきっかけとの報道である。 移民先で不便を来たさないようにと言うのも普通語奨励運動の理由の一つとなっていただけに、いかにも示唆的である。ともあれ復興の契機はどのような形であれ歓迎されるべきである。沖縄語の危機が叫ばれて久しいが、復興運動を形作るのはほかの誰でもなく、県民一人一人の役目である事を忘れてはならない。 普通語励行運動は皇民化の一環として戦前から行われていたが、戦後の凄【すさ】まじさの比ではない。戦後、沖縄人は自らの言語をどう位置付けてきたのであろうか。日本から切り離され、米軍の統治下に置かれる事になった沖縄は米軍の“奇妙な”提案に戸惑う。米軍は当初、琉球語による教育を考え、沖縄の諮詢会に打診したが、諮詢会側が琉球語を一つの言語として認識できず、実現する事はなかった。 教育現場では言葉狩り同然の方言使用者罰札制度が行われた。親となった方言札世代は子供を標準語で育てていく事になる。そしておよそ、一九六〇年代後半ごろまでには、方言札はその役目を果たし自然消滅した。 沖縄語復興を目指す動きもあるが、未だに軌道に乗りきれてない。その背景には、薩摩侵攻以来、琉球人(特に知識人)に根付いた日琉同祖論がある。沖縄語を「方言」(日本語の一地方語という意味の)と呼ぶことがあるが、この感覚は日琉同一論と混同された日琉同祖論の延長にある。 琉球の重大な歴史の局面には必ず、日琉同祖論が唱えられる。『中山世鑑』を書いた羽地朝秀(向象賢)は薩摩に支配された現実を受け入れざるを得なかった事情もあって日琉同祖論を唱えた。廃藩置県の際の琉球処分官松田道之は、「言語ハ我ガ国ニ近ク」「我ガ国ノ人種タル一証ナリ」「故ニ我ガ国ノ版図ナリ」と唱えた。そして、戦後の復帰運動時代には、各政治勢力とも日琉同一論と混同するまでに至った。日琉同祖論は弱小国琉球の生きる術であった。 「琉球方言と日本本土方言は日本祖語から分かれた」とする日本語学の定説からすれば、日琉同祖論は妥当である。そもそも民族や言語に、現在における相応の違いがなければ同祖論は生まれない。同祖論は唱えるほど、今ある非同一性を強調するようなものである。 沖縄語が日本語の一支語(方言)ではなく、日本語とは別の言語に変化してきたという意識を持つか持たないかによって、復興運動の進め方は質的に大きく変わる。 われわれは日琉同祖論を正しく理解し、伊波普猷の「この調子でいくと琉球語がその使命を全うして消滅する時期もさう遠くはあるまい」(方言と国語政策)という消滅論の暗示に嵌【はま】ってはならないである。(次回に続く) 注:字数等の関係で「週刊レキオ」と文言が違うところが若干あります。 |
〜考えようぬ違えみが復興運動ゆ左右すん〜 んじゃる三月(さんぐぁち)二十九日、県議会や、うちなあぐちぬ普及進みゆるたみなかい、九月一八日ゆ「しまくとぅばの日」んかいすんでぃぬ県条例ゆ決(ち)わみたん。県議会ぬ南米調査団が移民一世ぬ人(ちゅ)んちゃあから、言ゃったるくとぅなかい、あんなたんでぃ報道さっとをん。 移民先(いみんさち)んじ不便(ふびん)さんねえしんでぃゆしん普通語奨励運動すぬ理由(わき)ぬ一(てぃい)ちとぅなとをたくとぅ、いやでぃん「裏ぬ肝(ちむ)ぬ言い」ぎさん。やしが復興んかい役立ちゅるむんどぅんやれえ、ちゃぬゆうな形やらわん歓迎さりびちいやん。うちなあぐちえ危機やんでぃ言ゃってぃから、なあ長(なげ)えさないしが、復興運動すしえ誰(たあ)んあらん、県民一人(ちゅい)なあ一人なあぬ役目やるくとぅ忘(わし)りてえならん。 普通語励行運動や皇民化ぬ一環とぅさあい戦前からさっとをたるむぬやしが、うぬうすましさあ、戦後ぬさくおあらん。戦後、沖縄人お自(どぅう)なあたあくるぬ言語ゆ、ちゃぬふうじいし考えてぃちゃるむぬやがや。日本から切り離さってぃ、米軍なかい、治みらりゆるくとぅんかいなたる沖縄や米軍からぬ異風な提案ぬんかい戸ぬう惑ぬうさん。米軍や初めえ、琉球語しすぬ教育考えやい、沖縄ぬ諮詢会んかい打診さるむぬやたしが、諮詢会側が琉球語ゆ一ちぬ言語とぅしち考えいさな、実現すぬくとぅんかいやならんたん。 教育現場んじえ、言葉狩いとぅ同(い)ぬむん、方言使用者罰札制度ぬあたん。親とぅなたる方言札世代や自(どぅう)ぬ子んちゃあゆ標準語さあい育(すだ)てぃてぃいちゅるくとぅになたん。うぬたみなかい、一九六〇年代ぬ半らぐるまでぃなかいや、方言札やうぬ役目終わやい自然にねえらんたん。 沖縄語復興さんでぃすぬ運動んあしが、未(なあ)だ軌道んかい乗いゆうさん。うぬくさあんかいや、薩摩侵攻以来、琉球人(かわてぃ知識人)ぬんかい根付ちょをる日琉同祖論ぬあん。沖縄語ゆ「方言」(日本語ぬ一地方語んでぃゆる意味なかい)んでぃ呼ぶるくとぅぬあしが、うぬ感覚や日琉同一論とぅ混同さっとをる日琉同祖論ぬ近さんかいあん。 琉球ぬ大切(てえしち)な歴史ぬ局面うとおてえ必(かんな)じ、日琉同祖論ぬあびらりいん。『中山世鑑』書ちぇえる羽地朝秀(向象賢)や薩摩なかい掛きらったる現実受きとぅらんでえならん事情ぬあてぃ、日琉同祖論あびたん。廃藩置県ぬばすぬ琉球処分官松田道之や、「言語ハ我ガ国ニ近ク」「我ガ国ノ人種タル一証ナリ」「故ニ我ガ国ノ版図ナリ」んでぃちあびたん。あんし、戦後ぬ復帰運動時代んじえ、むるぬ政治勢力が日琉同一論とぅばっぺえゆるまでぃなたん。日琉同祖論や弱小国琉球ぬ生ち道やたん。 「琉球方言とぅ日本本土方言とぅや日本祖語から分かりた」んでぃすぬ日本語学ぬ定説からしいねえ、日琉同祖論やてえげえ当たとをん。あたまから民族んでえ言語んかい、今(なま)あぬ相応ぬ違えみぬねえらんあれえ同祖論や生まりらん。同祖論やあびれえあびゆるさく、今あぬ非同一性ゆ強(つう)づうとぅあびとをしとぅ同(い)ぬむんどぅやる。 沖縄語が日本語ぬ一支語(方言)やあらな、日本語とお別(びち)ぬ言語んかい変わてぃちゃるむるどぅやるんでぃゆる思(うみ)い、持(む)つみ持たにんでぃゆるくとぅにゆてぃ、復興運動ぬ進(しし)み道ぬ、みいや大ぎく変わゆん。 いがろうや日琉同祖論ゆまっとうばに分かやい、伊波普猷ぬ「この調子でいくと琉球語がその使命を全うして消滅する時期もさう遠くはあるまい」(方言と国語政策)んでぃゆる消滅論ぬ暗示なかい迷(まや)あさってえならん。(次回んかい続ちゅん) |