うちなあぐちぬ本格的復興運動為ぬ提案          比嘉清 2008年9月18日(しまくとぅばの日) 

強さるむんびけんが生ち残ゆるわけえあらん
じんぶん持っちょをるむんびけんが生ち残ゆるわけえあらん
環境んかいしなゆんねえ、変わゆる事ぬないるむんびけんがる生ち残いゆする
強いものだけが生き残れるわけではない
賢いものだけが生き残れるわけではない
環境に適応できるよう変化できるものだけが生き残れるのだ
                      ダーウィン
言語についても同じことが言える(比嘉清)

うちなあぐち復興ぬ取い組みすぬたみぬ検証

検証1(第一段階)

うちなあぐち、ちゃぬふうじいし考えゆが(日本語ぬ一部とぅしちぬ方言どぅやみ、また独立言語どぅやみ)。

他ぬ都道府県うとおてえ、方言や生活語やい、自然な言葉どぅやいびいしが、沖縄うとおてえ、「日本語ぬ一部とぅしちぬ方言」やんでぃ考えとをる人ん居いびいしが、生活語とお、成なてえ居らな、使ゆる人んとぅくるん限らってぃ、他府県ぬ方言ぬ有様とお、あいゆかん違とおいびいん。特殊な言葉んかいけえなとおいびいん。

うちなあぐちえ、他府県ぬ方言(お国ことば)やかん、標準語(国語)とぅぬ違えみぬ大ぎさるたみやいびいん。『沖縄語辞典』(国立国語研究所)んかいん「本土方言と対立し、(略)、日本語を二分する」「本土方言と琉球方言の二つに分かれる」んでぃ書かっとおいびいん。

欧米諸国ぬ言語(くとぅくば)あ、いぬ文字(ローマ字、アルファベット)し書かっとおくとぅ、互えに方言関係なとをるくとお、素人目やてぃん分かやびいん。やしが、アジア諸国ぬ言語やてぃん、いいくる文字ぬ違ゆくとぅ、分かいぐりさしが、実え互えに又、方言関係なとをんでぃぬ事やいびいん。やしが、まあぬ民族ん言語が似ちょおくとぅんでぃいち、一ちぬ国んかいならんでぃ、主張すぬ人ん、行動すぬ人ん居いびらん。

うちなあぐちえ、日本古語とぅ似ちょをる所ぬまんどおしが、「おもろ」、「組踊り」、「民謡」んでえ、独なあくるぬ言語活動しちゃる歴史ぬあいびいん。言語活動や、まぎさくうさああてぃん、民族意識持っちょおるむんやいびいん。うりが無えらん言語活動や「方言意識」ぬ強くなやい、言語活動ん、うぬあたいぬむんとぅしかないびらん。独立言語とぃしち、必なじ無えらんでえならん筈ぬ「書ちくとぅば」ぬ確立とぅか他ぬ要件ぬ確立ん、てえげえに考えゆる事んかいないがすらん分かやびらん。
 ただ、民族意識持っちょおくとぅんでぃち、短絡的に日本から分離しいびちいやんでぃぬ考えんかいやないびらん。
 話やいふぇえ変わゆしが、戦後、沖縄うさみとおたる米軍が琉球人んでぃち言ち、琉球語し教科書編纂しみらんでぃさる事とぅか、米軍が沖縄人から日本色取てぃひん投ぎゆる為ぬ政策進みらんでぃそをいびいたん。うんな事んかい肝わじわじい、危機感覚ゆしえ、当たい前ぬ事どぅやいびいたる。やしが、教育界ぬ実行さしえ、学校現場うとおてぃぬ、厳っさるうちなあぐち撲滅運動やいびいたん。学校限定んでぃいちん、とおなたれえ、戦前ぬ沖縄県政がんちょおん、成功しみゆうさんたるアイデンティティーぬ根ぐいやる沖縄語けえ壊さびたん。
 沖縄人ぬ歴史通ち、一番ぬ短絡的行動やあいびらんたがや。うんぐとぅし総括しいゆうすいん、我一人(わあんちゅい)びけんどぅやいびいがや。

さてぃ、うんじゅお、うちなあぐちえ、うちなあんちゅくるぬ独自言語やんでぃち主張ないびいみ。

独自言語やんでぃ思とをる人お、続きてぃうたびみそおり。「日本語ぬ方言」どぅやるんでぃち思とをる人お、うり以上、吟味しん、ひまだありどぅやいびいる。

 あんやんでぃ思ゆる人お、「をぅう」、あんしえ、思あん人お、「をぅううう」クリックしんそおり。

追記:方言とぅ言語分きゆる基準や明確にん不明確にん無えやびらん。強いてぅ言いどぅんしえ、あるっさぬ言語お、むる方言関係どぅなとをるんでぃ言しがる言語学ぬ考え方やいびいる(民族意識え、客観主義からなとをる学問んでえ研究たるがてきてえならんあい、学説ん、共同体んかい、うんな事お、望でえ居らん)。うぬ両者、分きゆるむのお、うぬ言語使ゆる共同体ぬ民族意識(歴史的にしこうらってぃちゃる主観主義)びけんどぅやいびいる。ただうっぴしえ、口さびっさくとぅ、我ねえ日本方言(日本語)とぅ琉球方言(うちなあぐち)ぬ違えみぬ大ぎさる事ゆ、足してぃ言ちょをるうっぴどぅやいびいる。スペイン語とぅポルトガル語が互えに意思疎通やなてぃん別言語やいびいん。オランダ語とぅドイツ語ぬ差んぐなさいびいん。ロシア語とぅベラルーシ語とぅウクライナ語ぬ方言関係やいびいん。例とぅいねえ、ふしがらりやびらん。タイ、ミャンマー、チベットまんぐらぬ東南アジアぬ言語んてえげえ似ちょおいびいん。
 むしか、うちなあぐちが日本語ぬ方言やんでぃ主張するむんどぅんやれえ、英語おドイツ語ぬ方言やんでぃ主張すしとぅ、何んあ変わやびらん。やしが、民族意識がうぬあたいどぅやれえ、うりん仕方あ無えやびらん。

うちなあぐち復興取り組みの検証

検証1(第一段階)

うちなあぐちをどう位置付けるか(日本語の一部としての方言か独立言語か)。

他の都道府県においては、方言は生活語であり、自然な言葉であるのに対し、沖縄では、「日本語の一部としての方言」として位置づけながら、生活語ではなく、使う人と場面が限られるなど、他府県の方言とは異なる状況下にあり、特殊な言葉になってしまっています。

うちなあぐちは、他府県の方言(お国ことば)に比べ、標準語(国語)との差が大きいためです。『沖縄語辞典』(国立国語研究所)にも「本土方言と対立し、(略)、日本語を二分する」「本土方言と琉球方言の二つに分かれる」とあります。

欧米諸国の言語は、ローマ字(アルファベット)をほぼ共有しているので、互いの言語が方言関係にあることは素人目にも分かります。だが、アジア諸国の言語においては、文字が異なるだけで、実は互いに方言関係にあるとされています。だが、だからといって、どの民族も言語の類似性をもって、国を一にしようなどする主張も行動も見受けられません。

うちなあぐちは日本古語と類似点が多々あります(これらに逐一、一喜一憂する人々もいます)が、「おもろ」、「組踊り」、「民謡」などにおいて独自の言語活動展開してきた歴史があります。言語活動は、多かれ少なかれ、民族意識を伴います。伴わない場合は、方言意識に傾き、言語活動もその意識の範囲内でしかなされなくなります。独立言語としての必須である「書きことば」の確立などその他の要件の確立も、いい加減になるでしょう。
 ただ、民族意識があるからといって、短絡的に日本から分離すべきだという考えには繋がりません。
 余談ですが、短絡的といえば、戦後、沖縄を占領支配した米軍は、琉球人と呼び、琉球語による教科書編纂を薦めるなど、沖縄人から日本色を消し去る為の政策を推進しよういましていました。これにわが県民が危機感を感じたことは当然でした。だが教育界が行ったのは学校現場における徹底したうちなあぐち撲滅運動でした。学校限定とはいえ、結果として、戦前の沖縄県政でさえ、成功しなかった沖縄のアイデンティティー根幹なす沖縄語を破壊してしまいました。
 沖縄人の歴史を通して、最も短絡的な行動だっとと言えるのではないでしょうか。そのように総括できるのはわたしだけなのでしょうか。

さて、あなたは、うちなあぐちを沖縄人独自の言語であると主張できますか。

「独自の言語」だと思う方は先に続けてください。「日本語の方言」であると思う方は、以下を検証しても時間の無駄と思われます。

追記:方言と言語を分ける基準は明確にも不明確にもありません。強いて言えばすべての言語は方言関係にあるとうのが言語学の考え方です(民族意識は客観主義に立つ学問や研究に依存しないし、学説も共同体にそれを期待してない)。両者(方言か言語か)を分けるのはそれを使用する共同体の民族意識(歴史的に形成された主観主義)だけです。ただそれだけでは、物寂しいので、私は日本方言(日本語)と琉球方言(うちなあぐち)の差の大きいことを、付け足し的に言っているだけです。スペイン語とポルトガル語が互いに意思疎通できるのに別言語です。オランダ語とドイツ語の差も小さいです。ロシア語とベラルーシ語とウクライナ語も差の小さい方言関係です。挙げればきりがありません。タイ、ミャンマー、チベットなどの東南アジアの言語も共通性が高いです。
 もし、うちなあぐちが日本語の方言であると主張するなら、英語はドイツ語の方言であると主張するようなものです。しかし、民族意識がそういうものであるなら、そういう主張もやむをえないでしょう。

 そうであると、思う方は、「はい」を、そう思わない方は「いいえ」をクリックしてください。

「をぅう」    「をぅう う」
「はい」         「いいえ」

追記(2008/9/27)昨日ぬ琉球新報夕刊ぬんかい、「日本人起源 本土型か琉球型」んでぃぬ記事ぬあいびいたしが、言語学ぬ「祖語からぬ二分説」とぅ今迄ぬ「二重構造モデル」(日本人ぬ人種形体)んでえぬ説が遺伝学的にん追認すぬ研究内容ぬ記事やいびいたん。
 我ねえ、十年びけん前に、新報んかい「弥生語を話す縄文人」ぬ題し論壇ぬんかい投稿さびたるむんやしが、琉球人ぬ今ぬ言語(くとぅば)あ、確かに本土語とぅなたる弥生語(南朝鮮系言語)んかい似ちょをしが、形態的ねえ縄文人ぬ色ぬ強さんでぃぬ投稿内容やいびいたん。

追記2(2008/10/2)太平洋戦争うとおてぃ唯一、地上戦経験さる沖縄県民や、沖縄戦ぬ実像、後世んかいまっとうばに伝えらんでえならんでぃち、うぬ実像、曲ぎてぃ歩っちゅる人んちゃあと闘てぃ、また、戦争んかい手がねえするぐとぅ習あちょおたる戦前ぬ軍国教育批判ぬ先走いそおいびいん。あんしうんな活動や内外から高く評価さっとおいびいん。
 やしが、うんなすばから、沖縄語撲滅ぬ運動にちいてえ、戦前ぬ事どぅやたんねえし、戦後ぬ「方言撲滅運動」にちいてえ、あびらんぱあそおんねえあし思ありやびいいん。沖縄語撲滅が県民運動ぬぐとぅ成たしえ、本当ねえ戦後教育(1960年代後半頃までぅぃ)どぅやいびいたしがる。
 詩人山之内獏ぬ詩ぬ中ぬ有名なフレーズ、「ウチナーグチまでぃん、むるいくさにさったるばすい」や、うちなあぐちぬ滅びたしえ戦後ぬ事どぅやるんでぃぬ象徴やあいびらんがや。
 なあふぃのお、いが琉球民族が正式(法律的に)に日本ぬんかい組み込まったしえ明治5年ぬ事どぅやい(琉球王国や琉球藩とぅさあい、明治日本ぬんかい組み込まったん。1609年ぬばすぬ薩摩ぬ琉球侵略や琉球ゆ日本ぬんかい組みいりたるむのおあらな異国とぅさあい、琉球ゆ植民地支配そをたるばすどぅやいびいる)、うぬ前や、律令時代から明治までぃ続ちょおたる全国66ヶ国ぬ中んかい琉球や無えらんたるばすやいびいしが、沖縄とぅ日本がゆぬ歴史やたんねえし、学校んじ習あさっとおいびいん。自なあたあ民族ぬ歴史え、うっちゃき投ぎやい。うぬ事お、例れえイギリスが祖先が同腹(いぬばら)やくとぅんでぃち、自なあたあ国ぬ歴史とぅ言語ゆ子孫んかい受ち継がんようい、ドイツぬ歴史ゆ自国ぬ歴史ぬちむええし、学校うとをてぃ習あすしとぅ同ぬむんどぅやいびいる。国ぬ規模ぬ違うゆくとぅ、分かいぐりさる筈やいびいしが、実にぬ事やい、真実やいびいん。
 「歴史教育やまっとうばに」んでぃち、うちなあんちゅお、うふあびいそをん。やしが、うんな事ん、戦前ぬ軍国教育とぅ沖縄戦びけんぬ事どぅ言ちょをがやあんでぃ思いねえ、何がやら、空響(んなひび)ちどぅする。
追記(2008/9/27)昨日の琉球新報夕刊に、「日本人起源 本土型か琉球型」なる記事がありました。言語学における「祖語からぬ二分説」に加え、これまでの「二重構造モデル」(日本人の人種形体)などの学説が遺伝学的にも追認する内容の研究内容です。
 私は、十年近く前に、新報に「弥生語を話す縄文人」と題して論壇に投稿したことがありますが、琉球人の今日の言語は確かに本土語と化した弥生語(南朝鮮系言語)に似るが人の形態的は縄文人の色合いが濃いという投稿内容でした。

追記2(2008/10/2)太平洋戦争で唯一、地上戦を経験したわが沖縄県民は、沖縄戦の実像を後世に正しく伝えようと、その実像を歪めようとする勢力と闘うとともに、戦争に導いた戦前の軍国教育批判の先頭に立ち、その活動は内外から高く評価されている。
 だが、一方で、沖縄語撲滅の運動については、戦前のことだけであったかのように、戦後のそれについては、触れたがらない。沖縄語撲滅が県民運動の様相を呈したのは、実際には戦後教育(1960年代後半頃までの)であるにも拘わらずである。
 詩人山之内獏の詩の中の有名なフレーズ、「うちなあぐちまでぃん、むるいくさにさったるばすい」は、うちなあぐちが滅びたのは戦後のことであることの象徴である。
 それに、わが琉球民族が正式(法律的に)に日本に組み込まれれたのは明治5年のことであり(琉球王国は琉球藩として、明治日本に組み込まれた。ちなみに、1609年の薩摩による侵略は琉球の日本への組み込みではなく異国としての琉球を植民地支配していたにすぎない)、それ以前は、律令時代から明治まで続いた全国66ヶ国の中に琉球は無かったにも拘わらず、沖縄と日本が共通の歴史を歩んできたかのように、学校で教育されている。自らの民族の歴史をかなぐり捨てて…。現在の沖縄の歴史教育は、例えばイギリスが祖先が同じという理由で自国の歴史と言語を子孫に伝えず、ドイツの歴史を自国の歴史のつもりで、学校で教えているに等しい。国の規模が異なるからピンと来ないかもしれないが、実態であり、事実であり、真実である。
 「歴史教育を正しく」という沖縄人の多くが声高に叫ぶ。だが、それらも戦前の軍国教育と沖縄戦だけに限定されているかのようで、空しく響くのである。

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