比嘉 清 作 |
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平成26年9月 |
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鍋小堀ぬドゥラム缶 清明祭ぬばすねえ、遥雄や毎年、必じ一親子うち揃てぃ、うるま市んかいあぬ親ぬ墓参しいが行ちゃびいん。 墓あ長兄ぬ名義どぅやしが、他ぬ兄弟とぅうっ達家組[1]ん、欠ぎらんようい、墓参えしいが来ゃあびいん。 いっそう間やれえ、遥雄達ぬ家組あ清明祭ぬ終わいねえ、うぬまあまあ南城市ぬ家んかい、けえ戻いどぅさびいしが、今ぬまあどお思事ぬあてぃ、道寄らしする積合そおいびいたん。童ぬばす、いいくる友ん達とぅまじゅん、学校からぬ戻やあ、横走いし行じゃる川小んでえが、今あ如何が成とおらんでぃ思てぃ、妻とぅまじゅん、見じいが行ちゅる事にさびたん。 まんぐらぬ景色ぬ童ぬばすとぅあい変わとおしえ、なあ当たい前ぬ事どぅやいやすしが、如何ぬあたい、相変わとおがんでぃ言る事んかい、いふぃえ興味ぬあいびいたん。長兄ぬうぬ墓くるん十五年前んじ、造らったるむんやいびいくとぅ、うぬ事くるん、まんぐらぬ景色、変えとおるむんぬ一ちとぅなとおいびいたん。 直ぐ側ぬ山道ん畑道ん、諸舗装けえさってぃ、また大新道迄んけえ造らっとおしえ、でえじなぬ変わい様やいびいたん。 うんにいぬ面影ぬ、むさっとぅ無えらんなとおる事お分かとおてぃん、実に巡てぃ見じいねえ、いふぃえ、あながちさんしいがすらんでぃ思とおいびいたん。 「いってえ、なあ家んかいどぅ走いさに」 長兄嫁ぬ昌江が御さんでえぬ食み残さあ小、アルミホイールさあに包でぃ紙袋んかい入りてぃ、遥雄妻ぬ菊子んかい持たさがなあ訊ちゃびたん。 「缶コーヒーぬ残とおらあ、うりどぅましやしがる」 「コーヒーどぅましやんなあ?」 「我っ達遥雄やコーヒー上戸なてぃよお」 「三ちえ、残とおさ、うり」 菊子が缶コーヒー、昌江から取とおたるばす、遥雄や昌江んかい答えやびたん。 「あらぬ、我ってえ、今から大洞原[2]ぬ川ぬ側まんぐらあ、今あ如何がなとおらんでぃ思てぃてえ、巡てぃ見だなんでぃる思とおしが」 「いぇえあんし、大洞原んでえ、直ぐ、んま小どぅやしが」 「やくとぅる、行かんでぃそおんどお」 大洞原お長兄ぬ墓から車歩っかち、一分ぬん掛からん所んかいあいびいたん。 「やしがよお、あまあ、なあ通ららんなとおんどお」 「あい、何が」 「あまあ早くに、いいくる、けえ、埋み立てぃらっとおんどお」 「あっさ、やんなあ。何んでぃち」 「分からんたん?」 「何時ぬ話やくとぅ?」 「なあ、二、三十年前やあらんたがやあ?宅地んかいすんでぃちどぅやたる筈やたしが」 「あいんちゃ、宅地造成ぬ話やれえ、いふぃえ、聞ちゃる覚いぬあっさあ」 「やしが、色んな事ぬあやあまよお、宅地んかいやなてえ居らんばあてえ」 「宅地んかいなてぃ居らんむんやれえ、昔ぬ面影え残てえ居らんがやあ」 やしが、遥雄や如何ぬあたい埋め立てぃらっとおがんでぃ言る事にちいてえ、勘や取いゆさびらんたん。 「川とぅか、近くぬ鍋小堀迄え埋みらってえ無えらんさに」 「知らっ! 鍋小堀辺迄え、我っ達ん、なあ長えさ、行じえ見だなそおてぃ」 遥雄とぅ菊子や、昌江ぬ言ちゃる事お肝に掛きらんようい、車乗てぃ、先じえ鍋小堀んかい向かやびたん。若しか目当てぃぬ鍋小堀がとぅめえららな、後ぬうんじゅみ、暇だあり成たんてえまん、家んかいぬ戻い道どぅやるむんぬ、んでぃ思とおいびいたん。 車歩っかさがちいなあ、小学校からぬ戻やあ、横走いさる山道、畑道また川小んでえぬ肝覚いが我んから我からあし、浮かでぃ来ゃあびたん。 やしが何ぬあながちさ思いん立っち来ゃあびらんたん。頭ぬ中んかいあるうんにいぬ景色とお、いち替わい替わいそおたくとぅやいびいん。 備後ぬ生いとおたる水田や昌江ぬ言ちょおたる通い埋み立てぃらっとおいびいたん。 「あっさ、うん丈なあんでぃん、けえ埋みらってぃ」 遥雄や自一人物言さびたん。 埋み立てぃらっとおんでぃ言ちん、一メートルぐれえがやらんでぃ、思とおたるむぬ、三~五メールぐれえや、うんにいやかん地ぬ高くなとおる風儀やいびいたん。 うぬ埋め立てぃ地や、ぐしち原んかい、けえなやあに、川やたる所お、げえみなかい覆らってぃ、まんあんかいがあらん分からんなとおいびいたん。人ぬ家ねえそおるむぬんあいびいたしが、ゆうさんでえ工場がやらん分かやびらんたん。 川ぬ水ぬ音んちょおんさびらんたん。うんにいぬ野原とぅか田ぬ畑んかいんちょおん、なてぃ居れえ、いふぃえ、合点ぬなゆたしが、げえみぬふちゃあてぃ、徒ぬさぼうり原どぅなとおいびいたる。うぬげえみえ、どぅく高さぬ中んかい入ゆる事んないびらんたん。 ハブぬ怖るさぬ遥雄や中んかい入っち迄、川とぅめえらんでえ思やびらんたん。 「だあ、うりん、『時代ぬ流れ』[3]どぅやる」 遥雄や自一人物言さあに、車んかい戻やびたん。 「とぅめえららんたるばあなあ」 「足はごうさぬ[4]、ぞおい、行からん」 遥雄や頭振いさびたん。あんすか迄あい変わてぃんでぃち肝ぬ暮りやびいん。 妻え肝ひがん面うちきそおいびいたん。 んま迄来ゃる序でぃ、遥雄や、ちゃあしっちい、海岸道なありい、車歩っかっち帰ゆる事にさびたん。通やがなあ遥雄や小学校二年生ぬばすがやたら、あらんでえ、三年生ぬばすがやたらあ、しかっとお覚いてえ居らのおあたしが、次第次第にある日ぬ事ぬ思い出じゃちょおいびいたん。 うぬ日、遥雄が学校から帰てぃ来、直き、あしゃぎんかい入やびたん。学校からぬ戻やあ、道んじ同士ん達とぅ遊び強さぬ、家かい着ちゃる時分や、やあさぬ防がりやびらんたん。 うんなばあや直き、あしゃぎんかいふぇえりんち行ちゅしがどぅ遥雄ぬ慣やいびいたる。四枚鍋んかいや、いいくる蒸さっとおる芋ぬあたくとぅやいびいん。 粉吹ちゃあ芋[5]やれえ、ましやしがるんでぃ思やがなあ、遥雄ぬ鍋ぬ蓋開きたれえ、昨日ぬ芋ぬ残やあ小ぬるあいびいたる。一ち取やあに、二ち手し、うぬ芋二ちんかい割たれえ、糸引ちょおいびいたん。腐い始みとおいぎさいびいたん。やしが、うんねえる事お、いっそうまぬ事どぅやいびいたる。何んふぃるましいむぬおあいびらたん。なあだ食まりる筈やいびいん。 遥雄がうぬ腐芋、口んかい入りたれえ、うぬ日びけんや、実に腐てぃ、ぞうい食まりゆるむぬお、あいびらんたん。 「ぺっ」 遥雄やうぬ芋、四枚鍋んかい戻さびたん。 うぬばす、公民館ぬ鐘ぬうすまさ打ち鳴らさりゆる音ぬさびたん。初みえ、肝にえ掛きらんたしが、鐘え、三拍子なかい、ちゃあ鳴いそおいびいたん。 何がやら、遥雄や肝騒じさびたん。 七回拍子なかい鳴いねえ、小学生ぬ、八回拍子やれえ、青年団ぬ揃いぬ案内・合図やいびたん。やしが三回拍子なかい、ちゃあばんない鳴いねえ、火事とぅかたでえまぬ事知らするむぬやいびいたん。 何事がやらんでぃ思てぃ、遥雄ぬ外んかい出じたれえ、隣ぬ昌克ん目ぐる回いさあに、立ちょおいびいたん。 「いぇえ、何がやらやあ」 あん言しとぅ、まじゅん、昌克や、 「でぃか先じえ、公民館ぬんかい行じんだ」 んでぃ、言い終わらんまあどぅ、走合なやびたん。遥雄ん昌克ぬ後追うやびたん。 まんぐらぬ人ん達ん家から出じやあま、「何やが何がや」し、わさみちょおいびいたん。 「公民館ぬんかい行じんだんでえ分からん」 諸があん言ちょおいびいたん。 遥雄とぅ昌克ぬ二人が公民館ぬんかいうち着ちゃれえ、大人から小学生徒迄、いちゃっさきいぬ村ぬ人ん達ぬ揃とおいびいたん。 区長ぬ宮城主が参らんうちなかい、緊急事態んでえ何ぬ事やがんでぃ言る事おきっさ、皆知っちょおいびいたん。 「七班[6]ぬ慎治が居らんなとおんでぃっさあ」 「川んじ遊どおたるばす、けえ溺きとおんでぃっさあ」 「ギンジン窟[7]まんぐらんじ、慎治ぬあしゅらけえなとおんでぃさ」 「何やが、『あしゅら』[8]んでえ」 「行方ぬ分からんなとおんでぃ」 「学校からぬ戻やあ、泳じ遊でぃどぅ居たるむぬ、うぬ故に命取たんでぃてえ」 話や諸、なあ銘々どぅやいびいたる。 慎治とぅまじゅん、遊どおたる六班ぬ孝昭や、んまんかいや居いびらんたん。いやでぃん、恐るさし、家んかいけえ籠まとおる筈んでぃぬ話やいびいたん。 何やらわん、公民館ぬんかい揃りとおる村ぬ人ん達さあに、慎治とぅめえいが、行ちゅる如にないびたん。 青年団が一番前なやあに、皆がすねえてぃ、行ちゃびたん。 道中、 森ぬ道端ぬ松ぬ木んかい、死じょおる猫ぬ首括んち下ぎらっとおいびいたん。 「あい、異風なむん、けえ見ちゃるむん」 昌克が面、遥雄んかい向きてぃ言ゃびたん。 「あっさ、まあぬ猫やがやあやあ」 遥雄が言ちゃる事んかいや誰からん何ぬ返事ん無えやびらんたん。遥雄や、うぬ事お言らんけえ済むたるむんでぃ後悔さびたん。今、まじゅん揃てい歩っちょおる人ん達ぬうちぬ誰がなぬ猫がやらん分からんたくとぅやいびいん。 戦ぬ終わてぃ直頃迄え、犬とぅ猫や、死じからん、あぬ世於とおてぃん喧嘩さんねえし、犬や地んかい葬てぃ、猫や木んかい下ぎゆる習慣ぬあいびいたん。犬とぅ猫んかいぬ人間ぬ勝手な高足遣えどぅやいびいたる。 村外しからいふぃえ離りとおる所んかいやギンジン窟ぬあいびいたん。うぬ窟ぬ側迄来ちゃれえ、鉦叩ちゃあそおたる青年団ぬ一人が鉦鳴らし始みやびたん。 あんされえ、行列ぬ人々ん諸、いっそうから叫びい始みやびたん。 「しんじー、いぇえー、しんじー」 青年団長やる宮里活丈ぬギンジン窟ぬ中、ぬばがやあに、目ぐるまあそおいびいたしが、誰ん居らんぎさいびいたん。 「しんじー、慎治や居らに」 中からようい、くうてん小、青年団長ぬ声ぬ響ちぬ聞かりやびたん。うぬ後お、またん、でえじな静かんかいないびたん。 「くまんかいや居らんぎさん」 いっそう間あやれえ、遥雄達、村ぬ童ん達や、まんぐら迄遊びいが行じん、ギンジン窟んかいや近付ちゃびらんたん。うぬ窟んかいやギンジン主んでぃ言るいやでぃん家無でぃいやる男ぬ住どおたくとぅやいびいん。髪んわらわらし、山盗人(ぬぐとぅ、髯んまあち、まあから見ちん、でえじな悪党らあさる面貌そおいびいたん。 うぬっ人お、かわてぃ、自ぬ窟んかい近寄てぃ来ゅうる童んでえぬ居れえ、けえどぅ迷ぎてぃが居らんでぃ思ありいるあたい、慌てぃてぃ、石投ぎたい、棒切らあ投ぎたいさあに、直ぐに追い放ゆる悪癖ぬあいびいたん。やいびいしが、大人んかいや何んさびらんたん。 ギンジン主があんすかなあ迄ん、童くしする事、あらぬ、童怖るうやたる事んかいや理由ぬあいびいたん。 ギンジン主ぬ実名や遠兼古聖使んでぃ言ちょおいびいたん。何時ん、ちゃあ、ギンジン窟んかい籠まとおたる故に何時ぬ間がやら、ギンジン主でぃ言ぬぐち名ぬ、けえ付きらっとおいびいたん。 遥雄が大人なてぃから聞ちゃる話なかいや、ギンジン主や戦ぬ万事、家組とぅまじゅん、ギンジン窟んかい隠とおいびいたしが、アミリカ軍ぬ、間さぎん無えらん艦砲弾また戦闘機から射らってぃ来ゅうる機銃弾ぬ音ぬ恐るさぬ窟ぬ端んじ、がたないそおたんでぃぬ事やいびいん。 ある日、窟んかい居る人ん達やいっそう間ぬ如、中んじ静かにそおたるむぬやいびいしが隣ぬ家ぬ赤ん子ぬあったにけえ泣ちゃびたん。 「あいなあ大事けえなとおん」 聖使え何ぬ事が思たらあ、ちゅうちゃん、けえどぅ迷ぐぃやあに、自一人、外んかい出じてぃ去ちゃんでぃぬ事やいびいん。 やしが聖使え、ちゅてえ小しいや窟んかい戻てぃ来ゃあびたん。泣ちょおたる赤ん子あ女ぬ親なかい連うらってぃ去ち居らんなとおいびいたん。 二人ぬ親子が、うぬ後、如何なたがんでぃ言る事お、誰ん分からな、戦後なてぃ、家組うりに親戚ん達が沖縄中、とぅめえたんでぃぬ事やいびいしが、肝苦ぎいなあ、二人が行方や今ちきてぃ分かやびらん。 戦争ぬ終わてぃ、ギンジン窟んかい隠とおたる村ぬ人ん達ん合あち、聖使ん、大洞原ぬアミリカ軍ぬ作てえたる住民収容所んかい、入りらりいる事んかいないびいたん。 内地んじぬ戦ん終わてぃから、収容所んかい入りらっとおたる村ぬ人ん達ん、村んかい戻さりいる事んかいないびたん。 村んかい戻てぃん、大概ぬ家やいいくる壊りたい、燃えてぃ無えらんなたいそおいびいんたくとぅ村ぬ人ん達や、一時外しなかい悪な家小造てぃ、再、暮らし始みやびたん。 うぬ時分ぬん、聖使や他所ぬ人が見ちえ、何ん違とおる風儀え無えやびらんたん。 やいびいしが、ある日ぬ夜中、まんぐらぬ赤ん子ぬ泣ち声ぬ聞かりたれえ、飛び起きやあに、家から走合なてぃ、出じてぃ去やびたん。 彼が家組うりに遠兼古ぬ親戚ぬ人ん達や、直ぐに聖使とぅめえいが出じやびたしが、うぬ夜お、とぅめえゆる事お、ないびらんたん。やいびいしが、なあ明日ぬ午後なてぃから、ギンジン窟んかい居んでぃぬ事ぬ分かやびたん。 聖使ぬ面うちきんかい神経ぎさるむんぬ現りてぃ[9]来ゃしえ、うぬ頃からやいびいたん。聖使や、なあ家組ぬ言しん聞かんなやあに、昼ん夜ん、ギンジン窟んかい、ちゃあ籠いけえし、ぞうい、家んかい戻らんでえさんなとおいびいたん。うぬ事お村ぬ誰がん知ゆる事んかいないびたん。 彼が家組あ、初みぬうちえ、戸ぬう惑ぬうしいがちいなあん、聖使ぬ事、でえじな、肝いちゃささあに、家んかい戻する如、やっぱとおいびいたん。 考えてぃ見いねえ、他ぬ戦争起因ぬ心ふぃちゃぎ[10]そおる人ん達や、いいくる村ぬ中なありい、狂りてぃ歩っちゃあ歩っちゃあそおたる為なかい家組・親戚びけんやあらな、村ぬ迷惑[11]んやいびいたん。 やいびいしが、聖使びけんや窟んかいけえ籠まてぃ、他ぬ狂り者とぅ比びいねえ、家組にとぅてえ、いふぃえ、安んじゆる事ぬないびたん。 あんややてぃん、時ぬ経っち次第、聖使や、たった、しょう狂り者んけえなてぃ来ちゃあに、家組ぬんちょおん、如何んならんなとおいびいたん。 あんし、聖使ぬ家組ん他所ぬ心ふちゃぎそおる者ぬ居る家組とぅ同ぬ如、聖使ぬ事ゆ一恥[12]に思ゆんねえなてぃ来ゃあびたん。あんし、なあ見放さんでえならんなたるばすやいびいん。 聖使ぬ家組あ、何時ぬ間がやら、まあがなんかい、引ち越ちし、声ん聞ちからな、何ぬ音信ん無えらんなとおいびいたん。 村ぬ区長ん、初みぬ中え、ギンジン窟、とぅん廻い廻いさあに、いふぃえ、聖使ぬ事ん、肝に掛きとおたる時期んあいびいしが、月日ぬ経っち次第、構らんねえなとおいびいたん。あんし、何時ぬ間がやら、ギンジン窟あ彼が家ぬ如どぅけえなとおいびいたる。 戦世んじ、けえ違とおる人[13]お、まんどおいびいたしが、窟んかいけえ籠まゆるっ人お珍さいびいたん。 一九六〇年代於とおてぃ、戦故に、けえ違とおる人ん達や、厚生省ぬ検みさあねえ、沖縄んじえ全国平均ぬ二倍ん居たんでぃぬ事やいびいん。 近頃ぬ精神科んでえ専門ぬ考えしえ、くんな神経[14]や沖縄人ぬばあや地上戦ぬ体験とぅいっぺえ関係そおんでぃぬ事やいびいん。 んちゃ日本ぬんじ、住民ぬ生活そおる地域んじ地上戦そおる所んでぃ言いねえ、沖縄ぬ他ねえ無えらやびらんたん。 戦争ぬばすとぅうぬ後んじ、狂り外でぃたる人ん達ん、最近なてぃから精神ぬ異風なあなてぃ来ちょおる人ぬ増あちちょおんでぃぬ事やいびいん。 戦争ぬ終わてぃ直え、死に残とおる[15]子ん達、家組うりに親戚ぬ事、考えゆんでぃち、また、世ぬ平和なてぃからあ、仕事ぬ事とぅか子育てぃぬ事とぅか故に肝忙さぬ、狂りゆる機会ん無えらんやびらんたん。やいびいしが、年取てぃ、子ん達ん育てぃ終わてぃ、仕事からん解放さったる今でぃい成てぃから、夜ん眠だらん、胴骨から腰骨迄、いちゃんだん痛むんとぅかぬ病んかい成ゆる人ん達ぬ増あちょおんでぃぬ事やいびいん。うりん、専門家にいねえ、戦争後遺症やんでぃぬ事やいびいん。 聖使え、まる平生や窟ぬ中んじ、ただ、目空張いし、とぅるばてぃどぅ居いびいたる。やしが窟ぬまんぐらんかい村ぬ童ぬ遊びいが来ゃあに、叫びやあ叫びやあんでえしいねえ、でえじな竦まあに「アミリカーぬ来ゅうん、来ゅうん」んでぃち叫びやがちいなあ、遊どおる童ん達んかい石投ぎたい、木切り投ぎたいさんでぃぬ事やいびいん。 やいびいしが、ギンジン主にとぅてぃ都合ぬ悪っさたる事お、うぬ窟ぬ近くんかいや童ぬ遊ぶる所ぬまんどおたる事やいびいたん。 まんぐらあ田ぶっくぁなやあに、自然ぬ泉ぬん馬浴んあいびいたん。田ぬ側なありいあたる溝小んかいや田魚からたなげえ、うりに川鰻ん居いびいたん。 夏え秋津ん、たあまん飛ばあ飛ばあそおいびいたん。近くぬ森んかい行ちいねえ、登てぃ遊ばりいる松んあい、水鉄砲はじみ色んな遊び道具とぅか得いり物、支こうゆる事ぬなゆる真竹ん生いとおびいたん。うんにいぬ童ん達や玩具のお大概やナイフさあに自しどぅ作やびいたる。童ん達にとぅてぃナイフお必需品なてぃ、筆箱とぅか鞄ぬ中んかい誰がん持っちょおいびいたん。 冬休みないねえ、まんぐらぬ村ぬ童ん達や鎌とぅか添具持っち、薄花刈いが行ちゃびたん。薄花し作ゆる箒え毎年、小学生ぬ冬休みぬ宿題やたくとぅやいびいん。 またムーチー[16]前ねえ、うりかあぬ森んかいムーチー葉、刈い取いが行ちゅしん、小学生ぬ仕事やいびいたん。 やいびいくとぅ、ギンジン窟ぬ男ぬいちゃっさ追い放らわん、まんぐらぬ童ん達や、くまりかあんかい、いいくる遊びいが来ゃあびいたん。 慎治が居らんなたる日や誰んギンジン主ぬ事お肝ぬ先にん掛けきてえ居いびらんたん。皆、あしゅらなとおる慎治ぬ事びけんがる肝掛かいやいびいたる。 まんぐらんじ、畑仕事そおたる他村ぬ人ん達や大叫びいさがなあ窟ぬまんぐらからすねえてぃ歩っちょおたる人々見ち、何事がやらんでぃち、ふぃるまさい、驚ちゃいそおいびいたん。 慎治とぅめえやあ臣下あギンジン窟からよういちゅてえ小、行じゃる所んかいあたる鍋小堀んかい、うち着ちゃびたん。 うぬ日びけんや大人んまじゅんやいびいたくとぅ、村ぬ童ん達やギンジン窟ぬ男恐るささんようい、うぬ窟ぬ側なありい、歩っちゅる事ぬないびたん。 「とお、あんしいねえよお、くぬ小堀小ぬ中、とぅめえてぃ見だな」 青年団長そおたる宮里活丈ぬ、側んかい居たる青年達、呼び揃あさびたん。青年団ぬ臣下あ何がな打ち合あしいそおる風儀やいびいたん。 ちゅてえ小しいねえ、青年ぬ一人が昌克とぅまじゅん居たる遥雄ぬ所んかい来ちゃあびたん。あんし、遥雄肩?みやあに、強々とぅ叫びやびたん。 「いぇえ、いっ達小学生ん達やよお、かあま、あまぬ畑ぬ畦ぬ傍んじ、離りてぃ待っちょおけえ」 だあ、兄方ぬ言い付きどぅやくとぅ、嫌んでぃんならな、遥雄とぅ昌克や木草ぬうっちゃありとおたる彼方ぬ畑ぬ畦ぬ傍んかい行かんでえならんないびたん。 「いぇえ、遥雄、昌克よ。いっ達二人びけんやあらんようい、小学生や諸っさ、連うてぃ行けえ」 「んじ、でぃか」 青年団なかい言ゃりいるまま、小学生達や諸、木草ぬうっちゃありてぃ鍋小堀かたかそおる所迄、退きなやびたん。 鍋小堀ぬ北側ぬ野なとおる所お大洞原す所やいびいたん。 大洞原ぬ、た向かあんかいある崖んかいや按司墓とぅ裸ん人墓ぬあくとぅ行じぇえならん嫌え所[17]とぅしち、まんぐらぬ村々ぬ人ん達や童ぬばすから言い習あさっとおいびいたん。 やくとぅ、小学生ん達や、青年団が自なあ達、鍋小堀から退きなすしん、「按司墓とぅ裸ん人墓ぬ近くから離りとおき」んでぃゆる意味どぅやるんでぃち思とおいびいたん。 大人とぅ青年団や鍋小堀囲どおいびいたしが、何がそおらあ分かやびらんたん。 いっぺえ、時間ぬ経っちから、鍋小堀んかい居る大人とぅ青年団ぬ臣下ぬ達、ちゅうちゃん、むさげえい始みやびいたん。 小学生ん達や何事がやらんでぃ、木草ぬ間からぬばがてぃ見なあびたん。来ん済むんでぃ言る青年団からぬ許可や無えらんたるむんぬ、小学生ぬ一人が木草超いてぃ、鍋小堀ぬ側んかい行かんでぃさびたん。うぬ拍子なかい、遥雄ん昌克ん、また他ぬ小学生ん、いっそうから、鍋小堀ぬ側んかい歩っち始みやびたん。 大人お諸、慎治ぬ事んかい一方けえなやあに、小学生ん達ぬ寄てぃ来ゅうる事んかい気に付ちゃびらんたん。 「ドゥラム缶ぬ中んかいどぅ入っちょおたっさあ」 慎治とぅめゆんでぃち、鍋小堀んかい潜みそおたる青年団ぬ山城信祐や巾さあに、胴拭やあなあ、叫びいとおいびいたん。 くりんまた遥雄が後から聞ちゃる話どぅいやいびいしが、ドラム缶ぬ中んかい居たる慎治や目ん開ち、生ちちょおる如どぅあたんでぃぬ事やいびいん。 「慎治なかい、ちゃあ見付きいさっとおんねえし、実に、てぃてぃんでぃいな思いやたっさあ」 慎治ぬ遺体や鍋小堀ぬ土手んかい寝んしらっとおいびいたん。小学生ん達ぬ後あから、見じゃあ見じゃあそおるばす、青年団ぬ人ん達やまんぐらぬ木切ち、あった作いせえる担架六人ぐれえし、担みやあに村ぬ公民館ぬんかい向かてぃ行ちゃびたん。 後なありい歩っかさっとおたる小学生達や慎治ぬ遺体ん見じゅる事ん無えらな、うぬまま、すねえてぃ行ちゃびたん。 諸が公民館ぬんかい、戻たるばすお、まんぐらあ、赤う黒うなとおいびいたん。 公民館ぬんじ、待っちょおいびいたる村ぬ女ん達や、担架んかい寝んしらっとおたる慎治ぬ胴見ち、諸、泣ち始みやびたん。 「あいええなあ、慎治」 「いいばす、夜ぬゆっくぃらんまあどぅ、とぅめえてぃ取らちぇえさ、果報しどお、二才達」 慎治ぬ母親あ、彼女が傍んかい居たる婦人会長なかい肩抱かっとおいびいたん。母親あ面ん色抜があけえなあやに、息んしいかんてぃいがそおたらあ、「ひいひい」びけんし、泣ちゅしん侭ならん風儀やいびいたん。 うぬ事ぬあてぃからあ、鍋小堀んかいんまたうぬ小堀から水ぬ流りんちょおる川んかいん、行じ、遊ぶる童ん達や、いいくる居らんないびたん。 大洞原お戦後ぬ一時あ、アミリカ軍ぬ造たる住民収容所ぬあやあに、いいくるまんぐらぬ村ぬ人ん達や、んまんかいん収容さっとおたんでぃぬ事やいびいん。 アミリカ軍や捕虜とぅなとおたる村ぬ人ん達ゆ村んかい戻ち後、収容所跡んかい基地造ゆんでぃち、いぐまちょおる風儀やいびいたん。うぬ故がやたら、収容所ぬ成たるばすねえ、きっさ火力発電所迄ん造とおいびいたん。収容所んじえ、夜お電灯ぬくぁらない明かがやあに、夜ん真昼ぬ如どぅあたんでぃぬ事やいびいん。 やいびいしが、村ぬ人ん達がふぃるさそおたしえ、アミリカー達や鍋小堀ゆ石油入りてえたるドラム缶そうな物ぬ捨てぃ所とぅさあに使とおたる事やいびいたん。 「あんしん、済まさりいるむぬやがやあ」 戦後、初みてぃ、村ぬ区長そおたる宮城主や腸苦さ思いそおたしが、うんにいやアミリカ軍ぬそおる事にちいてぃ、まあにん、訴えゆる所お無えやびらんたん。 一九五〇年代んじ知念村んじ、アミリカ兵なかい強姦さっとおたる沖縄ぬ女、助きらんでぃさる琉球警察官ぬアミリカ兵なかい拳銃し射りくじらってぃ、けえ亡あする騒じ事[18]んあいびいたしが、アミリカ兵んかいや何ぬ咎みん罪科ん無えやびらんたん。 鍋小堀ぬ事し、アミリカ兵達が、でえじな、ふぃるまさそおる事ぬあいびいたん。 ドラム缶のお、ちゃっさ捨てぃてぃん、うぬ鍋小堀やドラム缶し満ちゅる事お無えらんたくとぅやいびいん。 「ドーヤラ、ココノ池ハ底無シ沼のヨーダナ。幾ラデモ捨テラレルゼ」 アミリカ兵達やドラム缶捨てぃゆる毎、生笑えそおたんでぃぬ事やいびいん。 アミリカ兵達が言しえ、当たとおいびいたん。地元んじえ、鍋小堀や昔から尻ふぎ小堀んでぃ言ゃっとおいびいたん。 やいびいしが、何故がやたら、アミリカ軍や、大洞原ゆ軍事基地んかいする事、諦みやあに引ちなてぃ行ちゃびたん。何やわらん、地元ぬ人ん達や、肝いしてぃ、いしょうささびたん。 やいびいしが、鍋小堀んかい、ちゃっさきいなあぬドラム缶ぬ、捨てぃらっとおる事お、けえ忘りらっとおいびいたん。 だあ、アミリカ軍や今んあんやいびいしが、沖縄人、自侭、見下ぎてぃ耄り者どぅなちょおいびい[19]くとぅ、後んかい残ちぇえるむのお諸うぬまあけえまあなち、三歳なやあ童ぬ如、片付き道ん知らんどぅあくとぅ、如何んないびらん。 鍋小堀ぬ中ぬドラム缶ぬ片付きらったんでぃぬ話や、なあだぐとぅ、聞ちゃる事お無えやびらん。 鍋小堀とぅ大洞原んじえ、実に昔から、色んな事ぬあたるむぬやいびいしが、誰ん思い出しゃしい欲しゃあ無えらんがあら、肝に掛きゆる人お、なんぞお居いびらん。 「はあ」 「何が、ちゅうちゃん、あんし、大息し」 菊子や夫ぬ面あ見じゃあ見じゃあさがちいなあ紙袋から缶コーヒー、出じゃさびたん。 「あらぬよお、童ぬばそお、うっぴ小ぬ村どぅやしがよお、実に、色んな事ぬあるむんやっさあんでぃ思てぃよお」 「やんなあ、うりコーヒー小やてぃん、飲めえわ。先い、うさんでえせえるむんやさ」 終わい あとがき くぬ物語は①一九五〇年代に付近の子供が小堀で溺れ死んだという事実、②同時期に窟に人が住んでいたという事実、③大洞原が戦後、付近住民の収容所の一つだった事、④戦後の一時期、米軍がドラム缶を鍋小堀に捨てていたという見聞及びその他の幾つかの事実を元にしていますが、詳細についてはフィクションです。 [1] 家組=家族。首里・那覇等では「家人数」と言う。 [2] 「大洞原」=筆者の当て字。 [3] 「時代ぬ流れ」=民謡「時代の流れ」(嘉手苅林昌作)から生じた流行言葉。 [4] 「足はごうさん」=「「足元が気味悪い」の意味。「足が汚い」という意味ではない。 [5] 「粉吹ちゃあ芋」=紅芋。「粉吹ち芋」ともいう。 [6] この村ぬモデルとなった村は一班から七班迄ある二百世帯七百人ほどの小さな集落である。 [7] 「ギンジン窟」=実在する窟をモデルにした仮称。 [8] 「あしゅら」=文語。行方不明。 [9] 「現りゆん」=「明らかになる」。「人が現われる」という意味には用いない。 [10] 「心ふぃちゃぎ」は筆者の当て字。「神経ふぃちゃき」も可能。 [11] 「迷惑」=ここでは「恥」又「恥さらし」の意味。 [12] 「一恥」=大変な恥。 [13] 「違ゆん」は頭や精神が異常になる意味だが、『沖縄語辞典』にはない。なお「違う」という日本語は沖縄語では「変わゆん」「違あゆん」等となる。特に「変わる」と「違う」の意味が沖縄語と日本語とでは概ね逆転する。 [14] 「神経」=「精神病」又「気違い」の意味に転用されています。 [15] 「死に残ゆん」=「生き残る」。日本語とは逆の言い回しになる。 [16] 「ムーチー」=与勝方面では旧暦十二月一日、その他の地方では同八日に行なわれる「鬼餅の行事」。 [17] 嫌え所=禁止された所。 [18] 「琉球警察射殺一件」や実ぬ話やん。 [19] 「耄り者なすん」=ここでが「馬鹿にする」の意。 |