沖縄タイムス「唐獅子」掲載 提供 有限会社 南謡出版
比嘉 清 ホームへ戻る  うちなあうち賛歌  
うちなあぐちの生命力  (2007.3.16)
日本語版 うちなあぐち版
 
 ことばの変化は使うことによって生じる。語彙は社会の発展に応じて代謝する。使われなくなると代謝が止む。また、使い続ける人々とそうでない人々の間では、言語に対する意識の差が拡大していく。その言語に対して、前者は生命力を、後者は危機を感じる。

琉球語は当然に変化してきた。伊波普猷はその変化を神経質的ともいえるほど悲観した。「(老人には)今の青年同士の話は(略)毛頭わからない(略)ほど変化して了った」(『琉球戯曲集』、他著にも同様記事)。彼の悲観は玉城朝薫らの組踊創作における用語使いの苦心などにも触れ、「島津氏の琉球入以来南島人の呼吸(琉球語)は苦しくなった」(前著)と過去に及ぶ。

伊波の時代に琉球語は、「既にその「言霊」を失った」(前著)らしい。『沖縄語辞典』にある「本土方言と琉球方言の差異はきわめて大きく、琉球方言に属するどの方言も、本土のどの方言ともまったく通じない」との記述は現時点でも真理であり、日本祖語からの二分説と共に琉球語が独立言語であると主張する根拠にもなるほどだ。

一方で伊波は、琉球語は明治二十八年頃まで旧態を維持していたとする(『チェムバレン先生と琉球語』)。『沖縄對話』(明治十三年)は伊波のいう「旧態」に属する。現代の話者でそれ(『對話』)を理解できない者はいない。組踊台本で「間の者」(役柄の一種)が語る口語体せりふさえ理解できる。琉球語の本流である民衆語は、おそらく大きな変化はないことが推測される。

伊波は「予言」する。「言語学者は、南島に於いて言語破産の適例を見ることが出来よう」(『琉球戯曲集』)。「瀕死の方言」、「琉球語が(略)消滅する日もさう遠くはあるまい」(『方言と国語政策』)と。東恩納寛惇は、伊波を「彼ほど沖縄を識った人はいない、彼は(略)予言者であった」(顕彰碑)と讃えた。だが伊波は予言者ではない。

日本語もここ百年で著しく代謝した。外来語との混合が激しい英語も「街道暮らしの民衆の間で辛うじて生き延びていた」(広島大学教授、篠田義博論文)時代がある。

どの時代のことばが「正しいか」を問うことは愚かしい。現代人にとって、今のうちなあぐちこそうちなあぐちの出発点である。

注:字数等の関係で「唐獅子」と文言が違うところが若干あります。


 くとぅばぬ変わてぃいちゅしえ、使(ちか)ゆるくとぅにゆてぃどぅあんないる。語彙や社会ぬ発展ぬんかい合あち、代謝(入り替わい)すん。使あらんないや、代謝ぬ止むん。また、使え続(ちじ)きとをる人んちゃあとぅ、あねえあらん人んちゃあとぅぬ間(ゑえだ)んかいや、言語に対(てえ)する考え様ぬ違えみぬ大ぎくなてぃいちゅん。うぬ言語んかい、前者(めえ)や生命力、後者(あとじい)や危機ゆ覚(うび)いゆるばすやん。

琉球語や当たい前ぬくとぅなかい変わてぃちゃん。伊波普猷や、うぬゆうな変化ゆ気病(ちやみ)やんでぃいちんしむぬあたい、悲(なちか)ささん。「(老人には)今の青年同士の話は(略)毛頭わからない(略)ほど変化して了った」(『琉球戯曲集』、他著んかいん同ぬ記事ぬあん)。彼ぬ悲さや、玉城朝薫たあぬ組踊創作ぬ用語使えぬ難義苦事(なんじくんじ)んでえぬくとぅにちいてぃん、あびてぃ、「島津氏の琉球入以来南島人の呼吸(琉球語)は苦しくなった」(前著)んでぃち、昔ぬくとぅまでぃん及(うゆ)ぶん。

伊波ぬ時代(じでえ)んじえ琉球語や、「既にその「言霊」を失った」(前著)ぎさん。『沖縄語辞典』んかいあぬ「本土方言と琉球方言の差異はきわめて大きく、琉球方言に属するどの方言も、本土のどの方言ともまったく通じない」んでぃぬ記述や今ちきてぃ真理やい、日本祖語からぬ二分説とぅ同ぬぐとぅ琉球語が独立言語やんでぃすぬ根拠(くさてぃ)とぅんなとをるあたいやん。

あい言る傍(すば)から伊波や、琉球語や明治二十八年頃(ぐる)までぃえ「旧態」(昔ぬまま)やたんでぃ言ちょをん(『チェムバレン先生と琉球語』)。『沖縄對話』(明治十三年)や伊波ぬ言(ゆ)る「旧態」ぬむぬやん。現代(なま)ぬ話者が、うり(『對話』)解からん者のお居らん。組踊台本んじ「間ぬ者」(役柄ぬ一種)が語ゆる口語体せりふんちょおん解かゆん。琉球語ぬ実にぬ流りやる民衆語や、なんずかあ大(ま)ぎく変わてえねえらんぐとぅ、考えらりいん。

伊波や「予言」そをん。「言語学者は、南島に於いて言語破産の適例を見ることが出来よう」(『琉球戯曲集』)。「瀕死の方言」、「琉球語が(略)消滅する日もさう遠くはあるまい」(『方言と国語政策』)んでぃち。東恩納寛惇や、伊波ゆ「彼ほど沖縄を識った人はいない、彼は(略)予言者であった」(顕彰碑)んでぃち讃(ふ)みたん。やしが伊波あ、予言者あ、あらん。

日本語ん、くぬ百年びけんなかい、でえじな、あい変わたん。いちゃさきいなあぬ外来語ゆ、でえじな混んきとをる英語やてぃん「街道暮らしの民衆の間で辛うじて生き延びていた」(広島大学教授、篠田義博論文)世ぬあたん。

いちぬ時代ぬくとぅばぬる「まっとおばやが」んでぃゆるくとぅ問(とぅ)うゆるくとお、じんぶんぬ足らん。今ぬ人にとぅてぃ、今ぬうちなあぐちがるうちなあぐちぬ「元(むとぅ)」とぅないちびちやる。

注:字数等ぬ関係なかい「唐獅子」とぅ文言ぬ違とをるくとぅくるぬくうてん小あいびいん。