沖縄タイムス「唐獅子」掲載 | 提供 有限会社 南謡出版 | |
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琉球語ができた歴史的背景 (掲載2007.4.26) | ||
日本語版 | うちなあぐち版 | |
卑弥呼の時代、「邪馬台国連合の歴史は、偶然というにはあまりにも密接に、中国や朝鮮の歴史の起伏に対応している」(『日本国家の起源』(井上光貞)。同書が度々、引用する「(皇室による)東方五十五国、西の衆夷六十六国、海北九十五国の平定」の物語は、日本国家を形成する過程は戦乱に次ぐ戦乱の時代であったことを物語る。そして当時、鉄資源を確保することは、今日の核を保有するに等しい。鉄の産地であった南鮮支配をめぐる攻防も行われた。東アジアは、大動乱と大移動の時代であった。「四世紀後半の(略)大規模な朝鮮経営の結果、多数のいわゆる帰化人が日本に土着した」(同書)。この時代に琉球弧に転移した人々こそアマミキヨ族(南九州人など)だったのであろう。 全国の平定が終わり、国内体制の充実に向かうころ、大陸や朝鮮半島も全体として安定(近世に列強の進出で揺り起こされるまでの長い停頓の始まりでもあった)に向かう。琉球語化は、日本語の影響を受け過ぎないという意味で、日本国内の「安定を必要」とした。 では、「日本祖語」とは、どのようなものだったのか。答えではないが、同書をさら引用する。「邪馬台国のころ(略)、弥生式文化の伝来とともに、(略)朝鮮南部の言語が日本の島にもち込まれた」。 注:字数等の関係で「週刊レキオ」と文言が違うところが若干あります。 |
沖縄(うちなあ)んかいや湊川人(んなとぅがあんちゅ)はじみ縄文人んでえ、かあま昔(んかし)から住(し)どをる人んちゃあぬ居(をぅ)たん。やしが、歴史的ねえ、でえじな一時(いっとぅちゃ)ぬ間(ゑえだ)なかい日本祖語ぬ覆(うす)てぃちゃん。琉球方言ぬ日本祖語から分かりてぃちゃる時期(じしち)にちいてぃ、外間守善氏や、「歴史的出発点を二、三世紀から六、七世紀頃、方言化への傾斜を十一、二世紀頃」(『沖縄の歴史と文化』)やんでぃさあい、『沖縄語辞典』(国立国語研究所)や、「紀元後あるいは紀元前の浅い世紀」んでぃ書ちょをん。むしか、「本土に弥生式文化が広まるはるか以前に分岐した言語がこれほど似ているとは考えにくい」(同書)からやん。日本祖語、持(む)ち込(く)でぃちゃる人んちゃあぬ琉球弧んかいぬ移動やようい一時小(いっとぅちゃぐぁあ)どぅやたる。国郡制ゆ定みたる律令体制(六八九年)までぃなかいや、琉球弧や、きっさけえ忘(わし)りらっとをたん。琉球国や律令国家んかい組み込(く)まらんたるばすやん。日本祖語や、南島語(オーストロネシア語)とぅ混んちゃあないがちい、琉球語化しいちゅん。琉球弧うとをてぃぬ言語ぬ大(うふ)変わいぬくしんかいあたしえ何(ぬう)がやたら。 卑弥呼ぬ世、「邪馬台国連合の歴史は、偶然というにはあまりにも密接に、中国や朝鮮の歴史の起伏に対応している」(『日本国家の起源』(井上光貞)。同書がいいくる引用すぬ「(皇室による)東方五十五国、西の衆夷六十六国、海北九十五国の平定」ぬ物語(むぬがたい)や、日本国家が形作てぃいちゅる過程や、戦(いくさ)びけん重(かさ)にとをたる世(ゆ)やたるくとぅ物語とをるむぬやん。あんしうにいんじ、鉄(かに)資源ゆ確保すぬくとお、今ぬ世んじえ、核ゆ持っちゅるくとぅとぅ同(い)ぬむんやん。鉄ぬ産地やたる南鮮かきゆるたみぬ戦ん行(うくな)わりたん。東アジアや、大動乱とぅ大移動ぬ世やたるばす。「四世紀後半の(略)大規模な朝鮮経営の結果、多数のいわゆる帰化人が日本に土着した」(同書)。くぬ時代(じでえ)んじ琉球弧んかい、寄てぃ返(けえ)らち、来(ち)ゃる人んちゃあがるアマミキヨ族(南九州人んでえ)お、あらんがあたら。 全国ぬ平定うちなち、国内体制ぬ充実しいちゅるばす、大陸んでえ朝鮮半島ん、むる落てぃ着ちいんじゃん(近世んじ列強ぬ進出なかい揺り起くさりいるまでぃ、長えさる停頓ぬ始まいんやたん)。琉球語化や、日本語ぬ影響受き強さあいという意味なかい、日本国内ぬ「安定を必要」とした。 注:字数んでぬ関係なかい「週刊レキオ」とぅ文言ぬ違ゆるとぅくるぬ、くうてん小あいびいん。 |