当HPうとおてぃぬ表記法方針(比嘉清) 2015/4/29
訂正
 うちなあぐちえ日本語ぬ方言・地方語やあらな、一ちぬ独い立ちそおる言語やんでぃち考えやあに、
●くぬ記法や、長音ゆ棒引ち記号し、さっとおる表記えましえさな、うちなあぐち、敬ゆる肝、表する為ぬ表記法やん。
●組踊創作時代ぬばすぬ琉球語ぬ重らあさとぅ畏りゆ取い戻する為ぬ表記法なとおん。
●しいなさっとおる言語ぬ書ち言葉ゆ実践する為ぬ表記法やん。
●発音表記びけんしとぅみらっとおる『沖縄語辞典』(国立国語研究所)や話し言葉びけんし済まさりぎいさあやい、うりから脱却する為ぬ表記法やん。


スローガン
じるぬ分野からん書ち言葉とぅしち選ばりいるうちなあぐち!
ぞういうっちゃん投ぎららん書ち言葉とぅしちぬうちなあぐち!

当HPにおける表記法方針(比嘉清) 2015/4/29
訂正

沖縄語が日本語の方言・地方語ではなく、独立した言語である事を前提として、
●本記法は、長音を棒引き記号でする表記を良しとせず、うちなあぐちに対する敬意を表す表記法である。
●組踊創作時代の琉球語の権威と尊厳を取り戻す表記法である。
●言語の最高位の発展段階としての書き言葉を実践する為の表記法である。
●発音表記のみで自己完結している『沖縄語辞典』(国立国語研究所)は話し言葉に止まりかねなず、これから脱却する為の表記法である。

スローガン
どの分野からも書き言葉として選ばれるうちなあぐちを!
絶対に淘汰されない書き言葉としてのうちなあぐちを!

うちなあぐち 日本語
◆単語ぬ固有ぬ長音や母音(あ、い、う、え、お)し表記すん。
沖縄語例:と、あんせ、あんま等。
日本語例:じゃ、おかさん。

やしが、カタカナ表記さっとおる外来語ぬばあや固有音やてぃん「―」記号使ゆん。
◆臨時的伸ばし音ぬばあや棒引ち記号「―」使ゆん。
沖縄語例:しまぶく。(島袋氏呼ぶるばすぬ「しまぶく」ぬ伸ばし音)
日本語例:おい。(「おい」ぬ臨時伸ばし音)
(やてぃ会話体くうとぅ=地ぬ文うとおてえ使ありいる事お無えらん)
◆オ段音やるばあぬ長音ぬ表記
                 (参考:補足説明2
 語末ぬオ段音やるばあぬ表記え下ぬ通い。
1.名詞ぬばあや、うりが前音ぬ音節ぬ一部やんでぃち考えてぃ、「う」用(ちかゆん。日本語於とおてぃん、あらあら同ぬ扱えやん。例:そうき(笊)、もう(毛、原)。
2.特わてぃ漢語名詞んでえ、日本語からぬ借用語やるばあやうぬ慣例(なりい)とぅ似してぃ、母音「う」用ゆん。(例:学校、唐)。
3.動詞とぅか形容詞ぬばあや、別音節やんでぃち、考えやあに、母音「お」用ゆん。例:舞おゆん、はごおさん。日本語例:大きい。通る。
4.また動詞・形容詞ゆ元とぅそおる名詞んでえぬばあん、母音「お」用ゆん。例:舞おい、はごお。日本語ぬばあん、あらあらね同ぬ扱えやん。例:通り、遠、大。
5.又、名詞ゆ語幹とぅそおるるスン・シ活用動詞んでえぬばあや、逆なゆしが、動詞やいやすてぃん、「名詞部分(語幹)」於とおてぃぬオ段音ぬ長音や「う」使ゆん。(理屈えどぅうやしむんやしが、実にすんちないねえ、確かに、かmらしいむんやら筈)。
6.やしが慣例とぅなとおるばあや例外・慣例ぬ通いとすん。日本語んじぬ例外:「申す」「十(とお)」んでえ。
7.上ぬ何とぅん分からんばすお、「お」とぅ「う」ぬ何るやてぃん済むんでぃすん。(二重基準)。(うぬ事とお、変わゆる話やしが、送い仮名が二重基準なとおる例や日本語ぬばあんじんあん。例:「論じる」とぅ「ろんずる」又「信じる」とぅ「信ずる」んでえ。

註:「おもろさうし」「組踊」んでえん、あんやたる如、日本語ぬ表記法んかい似しゆん。
◆発音・抑揚んでえ(多くぬシマ物言いゆ持っちょおる言語ぬ表記法)
 うちなあぐちえ、シマぬ毎に発音・抑揚ぬ違とおる事んあてぃ、くぬHPんじぬ表記法や、一番、多く使あらっとおる那覇物言いゆなかじんとぅすせえすしが、首里物言いんでえ、一ちぬ地域ぬ発音びけんし表記するむぬおあらん。例れえ、首里語びけんし表記しいねえ後ぬうんじゅみ、後々、他ぬシマ物言いゆ粗相・押し退きゆる事(排除)んかいないがすらん分からんくとぅやん。
 やくとぅ、くぬHP於とおてえ、「最大公約数的表記」すしがるましやんでぃ思やあに、発音・抑揚等にちいてえ、なあシマジマぬ人ん達が、共通的表記とお別に、自なあ達ぬ発音・抑揚なゆんねえそおる表記法とぅすん。
 例れえ、芝居言葉あ首里語とぅ那覇語ぬ混んちゃあなとおる先走い「最大公約数的言葉」とぅしち考えゆる事ぬなゆん。芝居言葉あ、首里語とぅか那覇言葉ぬ厳密主義的基準からしいねえ、何るん「まっとおばなむぬ」おあらん筈。やしがうりが沖縄まじりんかい広まとおる事おううぐとぅやん。
 中国やは象形表記どぅやくとぅ、当たい前ぬ事、上ぬ考えんかいあたとおる「共通表記」やしが、日本語ん英語んくめえきてぃ見じいどぅんせえ、発音ぬ通い表記さってえ居らん事お、御万人ぬ知っちょおる通りいやん(伝統的やるやとぅ言語ぬばあや表記とぅ発音とお別なとおん)。
 諸ぬ沖縄ぬシマ物言いん、まっとおばな、沖縄語どぅやる。発音表記にちいてぃ「まっとおばなむん」んでぃゆる考えや、地域ぬ話者ゆ粗相する事んかいけえなゆん。

地方ぬ話者あなあふぃん自信(どぅううやめえ)しうみはまいびちい
 研究者たあ中心(なかじん)とぅさあに、大概(てえげえ)や首里語(しゅいむにい)んかい偏(かたん)ち進(しし)みらっとおる「復興運動」ぬ今(なま)ぬ有様(ありさま)あ、地方語にとぅてえ、実(じち)え、方言撲滅ぬ別(びち)ぬ形えあらにんでぃちんけえ考(かんげ)えらりいがすらん分からん。あんどぅやるんでぃ考えゆるむんやれえ、なあシマジマぬ話者ぬちゃあや、うん如(ぐと)おる事(くとぅ)んかい、怖(う)じいらんようい、なあふぃん自信(どぅううやめえ)し、立ち上がいびちいやあらんがやあ。
 むとぅから、いいくる首里語びけんそおる研究者達ぬ考えとお違てぃ、うちなあぐちゆ第一ぬまる平生(ふぃいじい)ぬ言葉(生ちちょおる言葉)とぅしち暮らちょおる話者あ地方んかいや、なあだまんどおん。レストラン、スーパー、病院ぬ待合室、ホームセンターんじぬ大工同士(せえくどうさあ)ぬ言ちゃい外んちゃいゆ耳広(みみふぃる)みてぃ聞(ち)ちいどぅんせえ、うぬ100%お、間違え無(ね)えらん諸(むる)地方語どぅやる。知っちょおるうぬ首里人(しゅいんちゅ)ぬんちょおん、うちなあぐち使あらんでえならんばあや那覇物言(なあふぁむに)いどぅけえする。
 やしが、首里物言いや、我くる考えしえ、うちなあぐち教室等とぅかサロン、又うちなあぐち集会んでえ於(をぅ)とおてぃんじする第二あらんでえまた第三ぬ言葉あやてぃん、まる平生ぬ言葉とぅしちぇえ、なんぞお、使あらってえ居らん。
 自(どぅう)やなんぞお話者あらん学者(がくむんさあ)・研究者(ならやあ)達(たあ)が、文献ぬいふぃええ、しょうらあしく残(ぬく)とおる首里物言いゆ重なかじんとぅさあにする事(くとお、分ゆしえ分かゆしが、地方語が如何(ちゃ)ぬあたい、使あらっとおがんでぃゆる事(くとぅ)にちいてぃ、なあふぃん、調びたい考えたいさんでえ、「復興運動」くるが、片欠(かたか)きんかいなゆい、何(ぬう)がなぬ支(ちけ)えんかいんないがすらん分からん。あんし地方語ぬ話者ぬ思(うみ)いからしいねえ、「復興運動」くるが実(じゅん)にぬ態(しがた)とぅでえじな違とおん。
 やくとぅ、地方話ぬ話者あ、学者達(たあ)ぬ研究んかいや頼(たる)がきらんようい、自(どぅう)なあくるし、さんでえならん時節(じしち)んかいなとおん。

 奇妙な話を付け足そう。
 地方語は現に生きた言語であるから、他の生きた言語において、普通にそうであるように、新しい言い回し、合成語も生まれ続けている。だが、『沖縄語辞典』(一部那覇語や地方語もあるが基本的には首里語)をうちなあぐちの唯一の拠り所とする人々の一部からは煙たがれている。そうした考えはうちなあぐちを『沖縄語辞典』に押し込め、「死語」として、確定しようとするものである。
 


総うちなあぐち復興論
 うちなあぐちぬ復興があるシマぬ物言いびけんしするある人ん達びけんぬむんとぅならんねえしさあに、他ぬシマジマぬ言葉ぬ粗相さらんねえ考えてぃする事がる実にぬうちなあぐちぬ復興んかいなゆる(総うちなあぐち復興論)。

ひらがな表記と音声表記
 (混乱の背景にあるもの)
 ひらがなあ音節表記(子音とぅ母音とがうさあとおる音)やる為なかい、ちゃあそおてぃん音素ぬ事考えらんとおならん発音表記すんでぃしいねえ、でえじな無理ぬあん。むし、強いて迄ん、厳重な発音表記さなんでぃするむぬやれえ、ローマ字ゆ柱すぬ音素表記どぅしいびちいやる。
 あんややてぃん、厳重な音声表記叫びやがなあ、後ぬうんじゅみ、ひらがな表記(御万人ぬましやんねえし?)んかいすぬ事お、当たてえ居らん。ひらがなあ音素んかい分きららんどぅあくとぅ、音素表記(厳重な発音表記)ゆ叫びゆるむんどぅんやれえ、ローマ字等音素文字ゆ使ゆしがる理屈んかい当たとおい、音声表記さなんでぃすぬ主張(叫びい)とぅんふさとおんむぬやしが、無理に、ひらがな表記さなんでぃする為なかい、ひらがな表記ぬ伝統的ルール壊ち、固定音ぬ長音ぬんかい棒引ち記号使たい、異風なあなち、「見ちんはごうさるむん」かいなちょおん。
 
 音素表記し成とおる国立国語研究所ぬ『沖縄語辞典』ゆ沖縄語研究ぬ大概ぬくさてぅとぅさあに頼がきとおる研究者ぬ達にとぅてえ、沖縄語ぬ「元」とぅんなとおる風儀やん。

 表記うちなあぐちえ『沖縄語辞典』ぬ始まいやあらな、元からぬ琉球人にとぅてえ、「おもろさうし」んでえがる始まいやる。研究者ぬ達や『沖縄語辞典』於とおてぃ沖縄語「目当てぅたる」積ええやる筈やしが、元からぬ琉球人にとぅてえ「おもろさうし」から始まてぃ「組踊」んでえんかい受ち継がってぃ、しいなさってぃ来ょおる琉球語表記ぬ伝統持っちょおん。

 言いどぅんせえ、沖縄語ぬ表記ゆひらがなしするむんどぅんやれえ、我が上んじ叫びとおねえし、発音とぅ表記とお別やんでぃちんでぃゆる考えしいびちやん。ひらがな表記んでぃしえ、厳重に言るむんどぅんやれえ、発音表記んでえ言ゃらん。

散文活動が起ゆる事ん起くする事ん考えらってえ居らん、ただ残すんでぃゆるうっぴびけんぬ発音表記
 『沖縄語辞典』(国立国語研究所)はじみ、沖縄ぬいくちがなぬ地方語辞典編纂や沖縄語復興にとぅてぃ、あいゆかんぬ加勢やる事、言ゃんてぃん分かゆる事やん。
 やしが、うんぐとおる辞典(じいふぃち)え」え、うちなあぐちぬ言語活動ゆ大言語並んかい高めるなゆる散文活動にとぅてえ、うぬ力あ限りぬあん。けえてえ、しいなち行ちゅる事んかい支えとおる事ん、くうとうに考えらんでえならん。

『沖縄語辞典』(国立国語研究所)やローマ字ゆ柱とぅしち、幾ちがなぬ記号足してぃ書かっとおる音素表記どぅやる。並ぬパソコンぬ持ちょおる記号とぅ一いちゃあなとおるローマ字んでえん使あらっとおん。例:?uQteeraka=shu¬N(うっちゃらかす)、NcaN?utana(神棚)等。
 うぬ書物え「夫のために鼻を切った女の話」(逆立ち幽霊)んでぃゆる「例文」載しとおるむぬやしが、かわとおる記号使えそおる表記法どぅやくとぅ、普通ぬ散文活動ぬ事考えとおるむぬおあらん。
 『医学沖縄語辞典』(稲福盛輝著)ん、ひらがなとぅカタカナ混んきてえるむぬんかい抑揚記号んでえ足してぃ、かわとおる表記法なとおん。例れえ、「うシルクビー(後頭部)」、「ゐ¬ワタ(上腹部)」んでえ。
 地方語ぬ辞典ぬんあしが、うんぐとおる辞典(じいふぃち)でえが似ちょおる事お、発音ゆ保存する事(ただ残する事びけん)どぅ考えらっとおる、散文活動ぬ起くゆる事とぅか、起くち行かんでぃする考えぬむさっとぅ無えらん事やんでぃ思ありいん。

補足:日本語於とおてぃん、ローマ字表記ぬ事なかい(かわてぃ、長音表記とぅか母音ぬ省略んでえぬ事なかい)やまちりとおん。むしか、ローマ字表記ぬ広まてぃうぬままあなやあに後後、くりまた、「元ぬ」らひらがな表記んかい戻さんでぃするばす、今ぬ沖縄語表記ぬ如し、でえじなぬやまちり事んかいないがすらん分からん。
 例れえ、「soo」、「too」んでえが、「そう、「とう」がやたらあ、あらんでえ「、そお」、「とお」がやたらあ分からんなやあに、千年が間ぬ慣習(伝統)表記や、うちゃんなぎらってぃ、「そー」、「とー」んかいけえないがすらん分からん。っさんさあに、ちゃしっちい、「ばあさん」「にいさん」んでえぬ他ぬ長音までぃん、「統一性」なじきやあに、「ばー」、「にー」んでえねえしけえなゆる筈。

  長音ぬんかい棒線記号使ゆすえ、一目、見じいねえ、「からまらさる」ルール、単純化すくとぅ、合理やんねえ思ありゆしが、実え破壊的どぅやる。数百年が間なかい作らってぃちゃるひらがな表記ぬ風儀ぬ崩りやあに、悪な影ないるびけえのおあらん。たとぅれえ、日本語ぬ「明日は」ゆ棒引ち沖縄語んかい直しいねえ、「あちゃー」んでぃちけんなゆい、助詞ぬ所ぬ棒引ち記号んかいけえなゆる事やん。
 棒引ち表記え、とおないねえ文法的迄ん、壊するむぬやるしいじやん。


 散文ぬ長えさる歴史(慣習、伝統)が発音主義んかい負きゆるばすやん。
 うちなあぐちえ、散文ぬ歴史ぬ浅さる事んあてぃ、発音主義表記んかい、「ううさりああさり」んでぃち、けえなとおるとぅるくぬあん。

「ううさりああさり=権威や権力に対して頭をぺこぺこ下げる様。「ううさり」は「はいはい、へいへい」、「ああさり」は「もっともでございます」、「そのとおりでございます」。
(比嘉清)


補足2オ段音ぬばあぬ補足説明

1.長音や母音なかい表記すんでぃゆる日本語ぬ慣りいとぅ似しゆんでぃゆる考えや、何ん沖縄語とぅ日本語とぅ姉妹やくとぅんでぃぬ理屈からああらん。
 うぬ表記法が書ち言葉とぅしちぬ色んなわちゃれえ事にちいてぃ、千年余いん試さってぃ、しいなさってぃちょおるむぬやくとぅやん。また、文ぬ風儀んでいぃせえ、まあまでぃん」、なあ銘々ぬ考えどぅやい、客観性や無えんでぃくじゆる人ぬ居るん。
 やしが、日本語表記法あ書ち言葉とぅしちぬ色んな問題点ゆ千年余い、試さってぃ今ぬ如、なてぃちゃんでぃゆる実績ぬあん。今ぬ日本語ぬ風儀えましさんようい、ローマ字なかい、書ちゃい、ひらがなとぅかカタカナびけんし書ちゃいする書ちい様んあしえあしが、いきら人数ぬるそおる。時代時代ぬ人ん達にゆてぃ、検証さってぃ、しいなさってぃちゃる風儀え、なあ、一人なあ一人なあぬ主観的ぬまぎさるむるしとぅなっやに、客観的なむぬんかい変わたるむんやんでぃちん済むん。


2.書ち言葉んでぃせえ、うりくるが視覚的芸術性ぬあるむぬやい、普通ぬ美的感性んかいんふさとおるむんやん。

3.日本語とぅか英語とぅ同ぬ如く独立そおる言語やくとぅ、うぬ書ちい様(表記法)ん、表面的なむぬおあらんようい、ちゃんとぅそおる理屈しなとおる体裁(みいば)ぬあいびちいやん。
 あんしわる、まあぬ文章書ちゃあからん、うちなあぐちぬ書ち言葉とぅしち優先的に選らばりる筈やん。

3.沖縄語ぬ話者はじみ、100%ぬ沖縄人が日本語ゆ当たい前に使とおる今ぬ世んじえ、日本語ぬ書ち言葉とお、ぞおい、勝負争んなてえ居らん。あんややてぃん、書ち言葉とぅしちぬ沖縄語があるっさぬ分野於とおてぃ、一番ましし選らばりいむんあらんでえならん。あんやくとぅ、沖縄語ぬ書ち言葉あ、大概ぬう小し、済まさんようい、日本語とぅ左右またうりやか上ぬみいばとぅ中身ぬある言語んかいする如、うみはまいびちいやん。うぬ事お又、沖縄語ぬ復興しいなち行ちゅる為ねえ、大切な事やんでぃち思らんでえならん。

 話者ん合あち、ちゃっさきいぬ並ぬ人ん達にとぅてえ、じる元からぬ名詞なてぃ、じるが形容詞・動詞からなてぃちゃる名詞やがんでぃゆる事お、分からんあい、面倒やくとぅんでぃち、長音ゆ棒引ち記号さあに、済ませえ済むんでぃぬ考えや、どぅく油断しい過じゆん。
 うん如おる問題、必じ解んするしい道ぬあん。
 上ねえぬ考えさあに作てえる方針ゆ書ち言葉想定そおる新沖縄語辞典ぬんかい取い入りてぃ編纂しいねえ済むるばすやん。独立言語んかい相応とおる頑丈な言語辞典とぅなゆる筈やん。


 沖縄語え、ただ沖縄人びけんが使ゆる「日本語ぬ方言ぬ一ち」やんでぃちょおる「内輪方言」考えやらあ、長音ゆただ棒引ち記号びけんし済まさんでぃするどぅう易いなあ考えとぅみいばしん、十分やら筈。
 支え無えらん、とおないねえ、日本語さあに済ますくとぅんでぃぬ考えぬあるむんやれえ、また、話や別やしが。

註:オ段音ぬ長音表記於とおてぃ「お」とぅ「う」ぬ二ちある事にちいてえ、韻学・言語学ぬ立場からあ、考えらんてぃん済むるむんやんでぃち片付きらっとおる風儀やくとぅ、我ねえ『実践うちなあぐち教本』出じゃちゃるばすからし、上ねえぬ主張をちゃあ言いしちょおん。
 書き言葉あ話し言葉ぬただぬ「発音記号綴り」えあらん。「発音記号綴り」えは確かに音韻学ぬ考え、重畳しみとおら筈やん。やしが、書ち言葉くるお歴史通ち、なあふぃん、上勝いし、文学性・芸術性でぃゆる衣着ゆんねえなてぃちゃるむぬやん。
 言語ぬが沖縄語かげえらんでぃするばあや、うぬゆうな書ち言葉ぬ伝統ぬ事お考えらんばすやん。
 
◆単語の固有の長音は母音(あ、い、う、え、お)で表記する。
沖縄語例:と、あんせ、あんま等。
日本語例:じゃ、おかさん。

しかしながら、カタカナ表記される外来語の場合は固有音であっても「―」記号を使う。
◆臨時的伸ばし音の場合は棒引き記号「―」を使う。
沖縄語例:しまぶく。(島袋氏を呼ぶ場合の「しまぶく」の伸ばし音)
日本語例:おい。(「おい」の臨時伸ばし音)
(よって会話体以外の地の文においては使用される事はない)
◆オ段音の場合の長音の表記(参考:補足説明2)
               補足2へ
 語末がオ段音である場合の表記は次の通り。
1.名詞の場合は、前音の音節の一部である事に鑑み、「う」を用いる。日本語においても概ねも同様な扱いである。例:そうき(笊)、もう(毛、原)。
2.特に漢語名詞等、日本語からの借用語である場合はその慣例を踏襲し母音「う」を用いる。(例:学校、唐)
3.動詞や形容詞の場合は連続音でも別音節として捉え、母音「お」を用いる。例:舞おゆん、はごおさん。日本語例:おおきい(大きい)、とおる(通る)。
4.また動詞・形容詞から派生した名詞等についても母音「お」を用いる。例 舞おい、はごお。日本語の場合も概ね同様な扱いである。例:通り、遠、大。
5.又、名詞を語幹とするスン・シ活用動詞等は逆に動詞であっても、「名詞部分(語幹)」におけるオ段音の長音は「う」を用いる。(理屈は単純だが運用は確かにややこしいだろう)。
6.上にもかかわらず、例外・慣例がある場合はそれに従う。日本語における例外:申(もう)す等。十(とお
)。
7.上の何れとも判別が難しい場合は、「お」と「う」の何れでもよいとする(二重基準)。(本件の場合から外れるが、送り仮名の二重基準は日本語においても見られる。例:「論じる」と「ろんずる」又「信じる」と「信ずる」等。)

註:「おもろさうし」「組踊」等もそうであったように、日本語の表記法に準じる。
◆発音・抑揚等(多様な地域方言を持つ言語の場合の表記法)
 沖縄語は集落毎に発音・抑揚が違う事もあって、このHPにおける表記法は、もっとも広い地域をカバーする那覇語系を主とし、首里語等、一地域の発音だけで表記する事を避ける。仮に首里語だけで表記すれば、結局、後々、他の地域語を放置・排除する事に繋がるおそれがある。
 したがって、本HPでは最大公約数的表記(「共通的表記」)とする事が好ましく、発音・抑揚等については、各地域・集落の人々が共通的表記とは別建てに、それぞれに発音・抑揚できる余地を残したい。
 芝居言葉も首里語と那覇語が混じった前例的な「最大公約数的言葉」して考える事ができる。芝居言葉は首里語や那覇言葉の厳密主義的基準からすれば、いずれからも「正しくない」かもしれない。だが、その知名度・普及度は高く、沖縄語普及に対する貢献度は大きい。
 他に目を転ずれば、中国語は象形表記であるから、当然上の趣旨に合致する「共通表記」である。日本語も英語も厳密には発音通りとなってない事は周知の通りである(伝統的でメジャーな言語の場合は表記と発音とは別建てである)。
 すべての地域語(方言)も正しく、沖縄語の一つである。発音表記における「正しい」という考えが地域のネイティブ(話者)を阻害するのである。

日常の第一言語としている地方の話者は自信を持って立ち上がるべき
 研究者ら中心に首里語偏重がちで進められている「復興運動」の現状は地方語にとっては「形を変えた方言撲滅」と受け止められかねない。こうした現状を懸念するならば、各地方の話者は、そうした現状に萎縮せず、自信を立ち上がるべきである。 
 そもそも、首里語中心の研究者らの感覚をしり目に、うちなあぐちを第一の日常の生活語(生きた言語)としているしている話者は地方にはまだ数多く存在する。レストラン、スーパー、病院の待合室、ホームセンターにおける大工同士の会話等に耳を傾けると、その100%が紛れもなく地方語である。知人の首里出身のものでさえ、うちなあぐちで会話をせざるをえない場面では那覇語で対応する。
 一方、首里語は、私的経験からは、うちなあぐち教室等(教室言語)やサロン(サロン言語)、集会(集会言語)それに類する限られた場面における第二あるいは第三の言語ではあっても、日常語としてはのほほぼ使用されてない。
 自らはそれほど話者でない学者・研究者らが文献の比較的、しっかりしている首里語に重きを置くのは分かるが、地方語とその使用実態にも、もっと目を向けなければ、「復興運動」そのものが片手落ちになったり、何らかの支障が生じるであろうし。そして地方語の話者の感覚からすれば、「復興運動」そのものが実態とかけ離れているのである。
 それゆえに、地方の話者は学者らの研究に頼りすぎず、自ら立ち上がるときである。

 奇妙な話を付け足そう。
 地方語は現に生きた言語であるから、他の生きた言語において、普通にそうであるように、新しい言い回し、合成語も生まれ続けている。だが、『沖縄語辞典』(一部那覇語や地方語もあるが基本的には首里語)をうちなあぐちの唯一の拠り所とする人々の一部からは煙たがれている。そうした考えはうちなあぐちを『沖縄語辞典』に押し込め、「死語」として、確定しようとするものである。

総うちなあぐち復興論
 うちなあぐちの復興が特定の地域の特定の部分のならないように、地方の言葉の疎外にならないように配慮するのが本当の意味でのうちなあぐちの復興になるのである(総うちなあぐち復興論)。

ひらがな表記と音声表記
 (混乱の背景にあるもの)
 ひらがなは音節表記(子音と母音の合体音)であるため、音素に重きが置かれる発音表記するのにはかなりの制限・制約がある。もし、厳密な発音主義表記をするなら、ローマ字を主とした音素表記に徹するべきなのである。
 にもかかわらず、厳密な音声表記を唱えながら、結果的にひらがな表記(大衆に迎合する形で?)にするのは矛盾を引きずっている。ひらがなは音素分解できないのであるから、音素表記(厳密な発音表記)を提唱するのであれば、ローマ字等音素文字を使用することこそ合理的であり、音声表記の主張との整合性があとれるのであるが、あえて(無理に)、ひらがな表記と融合させようとするあまり、ひらがな表記の伝統的ルールを壊し、固定音の長音に棒引き記号をしたり、歪なものにし、「みにくく」しているのである。
 
 音素表記で成る国立国語研究所の『沖縄語辞典』を沖縄語研究の主な拠り所とする研究者等にとって、沖縄語の出発点ともなっているように見受けられる。

 表記沖縄語は『沖縄語辞典』が出発点なのではなく、琉球人にとっては、「おもろさうし」を出発点とする。研究者らは『沖縄語辞典』で沖縄語を「発見」したのかもしれないが、元からいる琉球人にとっては「おもろさうし」以来、「組踊」等に受け継がれ、発展していった琉球語表記の伝統があるのだ。

 要するに、沖縄語のひらがな表記を選択するのであれば、私が左側欄で主張しているように、発音と表記は別建てかまわないという考えを持つべきなのである。ひらがなは厳密はいえば、発音表記とはなりえないのである。

散文活動が起こることも起こすことも想定されてない表記法保存のためだけの発音表記
 『沖縄語辞典』(国立国語研究所)をはじめ、沖縄のいくつかの地方語辞典編纂は沖縄語復興にとって大きな力であることはいうまでもない。
 しかし、それらの辞典は、沖縄語の言語活動をメジャーな言語並に高める事のできる散文活動にとって限界がある。寧ろ、その発展に支障をきたしているという側面も公平に直視しなくてはならない。

 『沖縄語辞典』(国立国語研究所)はローマ字を主体に幾つかの記号を加えてなされた音素表記である。一般的なパソコンに備わってない記号付ローマ字等も使用されている。例:?uQteeraka=shu¬N(うっちゃらかす)、NcaN?utana(神棚)等。
 「夫のために鼻を切った女の話」(俗には「逆立ち幽霊」)という「例文」を載せてはいるが、独特の記号使いをしている表記法であり通常の散文活動を想定したおものではない。
 『医学沖縄語辞典』(稲福盛輝著)もからがなとカタカナを組み合わせたものに抑揚記号などを混ぜた独特の表記法である。例えば、「うシルクビー(後頭部)」、「ゐ¬ワタ(上腹部)」等。
 地方語の辞典もあるが、それらの辞典群に共通するのは発音を保存する事(ただ残す事のみ)に重点が置かれ、散文活動が起こる事を想定せず、起こそうという発想が欠落していることであろう。

補足:日本語においても、ローマ字表記(とくに、長音表記や母音の省略を巡って混乱がある。仮に、ローマ字表記が定着し、これを、「元の」らひらがな表記に戻そうする場合、今の沖縄語表記に見られる大混乱が見られるかもしれない。
 例えば「soo」、「too」等は、「そう、「とう」だったのか、あるいは「そお」、「とお」だったのか判断できなくなくなり、千年に及ぶ慣習(伝統)表記をあきらめ、「そー」、「とー」に統一されててしまうだろう。そして、ついでに、「ばあさん」「にいさん」等の他の長音までもが、「統一性」という名の下に「ばー」、「にー」等となってしまうだろう。
 
長音に棒線記号にするのは一見、「面倒」なルールを単純化し、合理的のように思えるが、その実は破壊的である。数百年の歴史で築かれたひらがな表記の体裁が崩れて、非芸術的になるだけでない。たとえば、日本語の「明日は」を棒引き沖縄語にすると「あちゃー」としてしまい、助詞の部分が棒引き記号になってしまうことである。
 棒引き表記は、ついには文法的領域迄破壊するに至っているのである。


 長年の散文の歴史(慣習、伝統)が発音主義に席を譲る瞬間である。
 沖縄語散文は歴史が浅い事もあって、発音主義的表記にへつらってしまっている部分がある。
(比嘉清)


補足2
オ段音における補足説明


1.長音は母音を添えることによって表記するという日本語の慣習に倣うのは、何も沖縄語が日本語と姉妹語関係にあるからという理由からではない。また、文の体裁というものは、あくまで個人の主観的なもlのであって、客観性は無いと指摘する人がいる。
 だが、日本語表記法は書き言葉としての様々な問題点を千年以上の検証を経て確立されてきた実績を持っている。今の日本語の体裁にあきたりず、ローマ字表記を実践したり、ひらがな表記やカタカナだけの表記も実際にあるが、きわめて少数派である。その時代時代の人々によってに検証されてきた日本語の体裁はもはや、個々の主観的の大きな集まりが客観的なものに転化したといえるのである。

2.書き言葉というものは、それ自体が視覚的芸術性を持つのであり、一般的な美的感性にも合致するからである。

3.日本語や英語と同等に独立し独立した言語であるから、書き方・表記法も、表面的なものでなく、しっかりした論拠に基づ基づく体裁を持つ必要がある。
 そうしてこそ、内外の書き手に、書き言葉として優先的に選択されるであろう。

3.沖縄語の話者はじめ、100%の沖縄人が日本語を当たり前に使用している現状において、日本語の書き言葉とは勝負になってない現状がある。そうした中でも、書き言葉として沖縄語があらゆる分野において最優先的に選択されるものでなくてはないない。だからこそ、沖縄語の書き言葉は安直なもので間に合わせるのではなく、日本語と同等か、それ以上の体裁と中身の伴った言語であることを追及されべきである。そしてそのことは沖縄語の復興を進めていく上で重要課題である事を知るべきである。

 話者を含む多くの一般人にとってどれが本来の名詞でどれが形容詞・動詞から派生した名詞なのか区別がつかないし、面倒だから棒引き長音記号で間に合わせばよいという発想は安直過ぎる。
 これらの問題点確実に解決する方法がある。
 以上の思想に基づく方針を書き言葉を想定した新しい沖縄語辞典に盛り込んで編纂すればよいのである。独立言語に相応しい強固な言語辞典が仕上がるであろう。


 沖縄語は単に沖縄人だけが使う「日本語の方言の一つ」だという「内輪方言」という位置づけなら長音を単に棒引き記号だけでせるという安易でな体裁で間に合うかもしれない。
 大丈夫、いざとなれば、日本語で間に合わせるからという考えがどこかに潜んでいるなら別であるが。
 

註:オ段音の長音表記における「お」と「う」の二重性については、韻学・言語学的観点からは配慮される必要はなく、ないあるいは無視されるべきものとして扱われがちであることから、筆者は『実践うちなあぐち教本』を出し、一貫して、上のような主張を続けている。
 書き言葉は話し言葉の単なる「発音記号綴り」ではない。「発音記号綴り」は確かに韻学的要求を満たしているかもしれない。だが、書き言葉自身は歴史を通して、それを超え、文学性・芸術性という側面を纏うようになってきたのである。
 言語学が沖縄語を主導する場合、そうした書き言葉の伝統に配慮しないのである。