「いめんせえびり うちなあぐち賛歌」ぬ語句説明
塔ぬある根枯じらあ岩(うるま市)
2020/3/15
根枯(にいが)じらあ岩(しい)やうちなあんじえ、ふぃるましいむぬおあらんしが、何(ぬう)がやら、頂(ちじ)んかいコンクリート造(づく)いぬ塔(たっちゅう)ぬ建(た)てぃらっとおくとぅ、ふぃるまさん。
何(ぬう)ぬ為(たみ)ぬ塔がやら。
まんぐらんかいや地(じい)ん人(ちゅ)ん見(み)いらんたくとぅ、訊(ち)ちいんならんたん。
倉岩(くらじい)んでぃん言(ゆ)ん。
海(うみ)ぬた生(い)ち物(むし)小(ぐゎあ)とぅ波(なみ)なかい削(き)じらってぃ、うん如(ぐと)おる形(かたち)んかいないぎさん。
陸(あぎ)んかいあぬ石灰岩(しくゎいじい)や同(いぬ)形し、むとぅうゆしが、海ぬ中(なあか)ぬ岩(しい)あ、海んかいある限(かじ)り、いちみとぅとぅうま、ちゃあ削らりいさりいるばすやん。
かあま遠(とぅう)さんかい見(み)ゆる岩ん、くぬ岩ねえしがないらあ。
砂浜(しなはま)造(つく)ゆする大(ま)ぎ岩やれえ、胴(どぅう)ぬ丸回(まんまあ)るうんかい砂浜(しなはま)造てぃ、胴守(まむ)ゆる事(くとぅ)んなゆる筈(はじ)やしが…。
人(ちゅ)ぬ時間(じかん)や馬(んま)ぬ走(は)い、自然(しじん)ぬ時間や亀(かあみい)ぬ走い。
【語句】
根枯じらあ岩やうちなあんじえ、ふぃるましいむぬおあらんしが=
キノコ岩は沖縄では珍しい者ではないが、
何がやら、頂んかいコンクリート造いぬ塔ぬ=
どういう訳か頂きにコンクリート製の塔が
建てぃらっとおくとぅ、ふぃるまさん=
立っているので珍しい。
何ぬ為ぬ塔がやら、まんぐらんかいや=
何のための塔なのか、近くに
地ん人ん見いらんたくとぅ、訊ちいんならんたん=
地元の人がいなかったので、訊けなかった。
倉岩んでぃん言ん=
クラジイんとも言う。
海ぬ生ち物小とぅ波なかい削じらってぃ=
海の生物や波に削られて、
うん如おる形んかいないぎさん=
このような形になる様だ。
陸んかいあぬ石灰岩や同ぬ形しむとぅうゆしが=
陸にある石灰岩は同じ形を維持するが、
海ぬ中ぬ岩あ、海んかいある限り=
海の中の岩は海にある限り、
いちみとぅとぅうま、ちゃあ削らりいさりいるばすやん=
ずっと、削り続けられるわけである。
かあま遠さんかい見ゆる岩ん、くぬ岩ねえしがないらあ=
ずっと向うにある岩もこの岩のようになるのだろうか。
砂浜造いゆする大ぎ岩やれえ、胴ぬ丸回るんかい=
砂浜を造れる大きな岩ならその周囲に
砂浜造てぃ、胴守ゆる事んなゆる筈やしが…=
砂浜を造って自分を守ることんもできようが…。
人ぬ時間や馬ぬ走い、自然ぬ時間や亀ぬ走い=
人間の時間は馬が疾走するが如く、自然の時間は亀が這う如し。
玉城城(南城市)
2020/3/1
くぬ前(めえ)、長(なげ)えさ行(ん)じんだんたる玉城城(たまぐしくぐしく)んかい行じゃれえ、足場(くだみどぅくる)ぬ新(みい)くにけえ造(つく)らっとおたん。
やぐとぅ、前に撮(ぬ)じゃるくぬ写真(しゃしん)とお今(なま)あ変(か)わとおん。*上(うゐい)ぬ写真や前ぬむん。
近頃(ちかぐる)お遺跡(あとぅかた)んでえぬ観光所(ゐいりきどぅくる)んかいや観光客(ちゃく)向(む)ちいなかい、特(かわ)てぃ足場んでえぬ造いしぎらってぃ、小(くう)さいにいから見(ん)じ慣(な)りとおる地(じい)ん人(ちゅ)からあ、異風(いふう)なあなてぃ見(み)ゆる事(くとぅ)んあら筈(はじ)やん。
写真ぬ写(うち)い様(よう)や目外(みは)んだあなゆしが、遺跡守(まむ)たい保(たむ)ちゃいする為(たみ)ねえ、仕方(しかた)あ無(ね)えらん。
近(ちか)くんかいや、あまみちゅぬ居(をぅ)たんでぃぬ伝(ちて)え話(ばなしい)ぬある明東城(みんとぅんぐしく)から垣花城(かちぬはなぐしく)、糸数城(いちゅかじぐしく)んあん。
くぬ城んかいん伝え話や色々(いるいる)、あしが、くったあ城(ぐしく)ぬ主(ぬうし)ん達(ちゃあ)や如何(ちゃ)ぬ様(ゆう)に関(かが)なてぃ居(をぅ)たらあ。
若(む)しか明東城が創(はじ)まいやれえ、他(ふか)ぬ城ぬ主達や、うぬ後々(あとぅあとぅ)ぬ人(ちゅ)ん達がやら。
【語句】
くぬ前、長えさ行んだんたる玉城城んかい行じゃれえ=
このまえ、久しぶりに玉城城にいってみたら、
足場ぬ新くにけえ造らっとおたん=
足場が架けられてしまっていた。
やぐとぅ、前に撮じゃるくぬ写真とお今あ変わとおん=
だから以前に撮った写真とは変わってしまっている。
*上ぬ写真や前ぬむん=
上の写真は以前にとったもの。
近頃お遺跡んでえぬ観光んかいや光客向ちいなかい=
最近は遺跡などの観光地には観光客向けに
特てぃ足場んでえぬ造いしぎらってぃ=
特に足場などが付加されて、
小さいにいから見じ慣りとおる地ん人からあ=
幼い頃から見慣れた地元の人にとっては、
異風なあなてぃ見ゆる事んあら筈やん=
妙に見えることもあるだろう。
写真ぬ写い様や目外んだあなゆしが、遺跡守たい保ちゃいする為ねえ=
写真写りは愕然とするが、遺跡を守り保存するためなら
仕方あ無えらん=
いたし方ない。
近くんかいや、あまみちゅぬ居たんでぃぬ伝え話ぬある明東城から=
近くにはアマミキヨが居城したとされるミントゥングシクはじめ、
垣花城、糸数城んあん=
垣花城、糸数城もある。
くぬ城んかいん伝え話や色々、あしが、くったあ城ぬ主ん達や=
この城には様々な伝説があるが、居城者たちは
如何ぬ様に関なてぃ居たらあ=
どのような関りがあったのだろうか。
若しか明東城が創まいやれえ、他ぬ城ぬ主達や=
もし、ミントゥングシクが創まりなら、他の城の主たちは
、
うぬ後々ぬ人ん達がやら=
アマミキヨの後継者たちなのだろうか。
返し石獅子(南風原町)
2020/2/15
村々(むらむら)んかいある獅子(しいし)んかいや、実(じん)に面白(うむ)さる伝(って)え話(ばなし)ぬあるむぬやん。
東風平(くちんだ)富盛(とぅむい)んかいや、どぅくだら、まんどおたる火事(くゎじ、ほうはい)ゆ鎮(しじ)みゆる積合(ちむええ)さあに、沖縄(うちなあ)んじ初(はじ)みてぃ、造(つく)らったんでぃさっとおる獅子(しいし)ぬあん。
やしが、かたがた、うりが南風原町(ふぇえばる)本部(むとぅぶ)んかい向(ん)きらっとおたる為(たみ)なかい、本部(むとぅぶ)ぬ人(ちゅ)ん達(ちゃあ)や、うりんかいぬ返(けえし)しとぅしち、富盛んかい向きてぃ石獅子(いししし)ゆ造たん。
やしがまた今度(くんど)お照屋(てぃいら)ぬ人ん達や、本部獅子え又照屋(てぃいら)んかいん向きらっとおるんでぃ、けえ思(うむ)やあに、本部んかい向きてぃ、うぬ写真ぬ獅子造たんでぃぬ事(くとぅ)。
村同士(むらどうさあ)ぬ揉(む)み事(ぐとぅ)ゆ獅子造いさあに、済(し)ますしん、いやでぃん、「平和(ひいわ)風儀’(ふうじい)」やあらに。
獅子ぬ卑語(愛称、やなくとぅば、かなさくとぅば)あ「シーサー」。今(なま)あシーサーや只(ただ)ぬ物退(むんぬ)き物(むん)とぅけえなとおん。
【語句説明】
村々んかいある獅子んかいや、実に=
村々にある獅子にはほんとうに、
面白さる伝え話ぬあるむぬやん=
面白い伝え話があるものだ。
東風平富盛んかいや、どぅくだら、まんどおたる火事ゆ鎮みゆる積合さあに=
東風平富盛には、あまりのも多かった火事を鎮める目的で
沖縄んじ初みてぃ、造らったんでぃさっとおる獅子ぬあん=
沖縄で最初に造られた獅子がある。
やしが、かたがた、うりが南風原町本部んかい向きらっとおたる為なかい=
しかし、それがたまたま、南風原町本部に向けられていたことから、
本部ぬ人ん達や、うりんかいぬ返しとぅしち=
本部の人々はこれに対抗するために
富盛んかい向きてぃ石獅子ゆ造たん=
富盛に向けて石獅子を造った。
やしがまた今度お照屋ぬ人ん達や、本部獅子え又照屋んかいん=
ところが今度は、照屋の人々は本部の獅子は照屋に
向きらっとおるんでぃ、けえ思やあに、本部んかい向きてぃ=
向けられていると思い込み、本部に対抗して、
うぬ写真ぬ獅子造たんでぃぬ事=
その写真の獅子を建てたとのことだ。
村同士ぬ揉み事ゆ獅子造いさあに、済ますしん=
村同士の争いを獅子づくりで済ますとは、
いやでぃん、「平和風儀」やあらに=
いかにも、平和的ではないか。
獅子ぬ卑語(愛称)あ「シーサー」=
獅子の卑語(愛称でもある)は「シーサー」。
今あシーサーや只ぬ物退き物とぅけえなとおん=
現在はシーサーは単なる魔除けになってしまった。
真謝井戸(石垣市)
2020/2/1
写真(しゃしん)ぬ中(なか)むてぃいぬまんぐらんかいある井戸(かあ)やまあにんある井戸やいぎさしが、「真謝節」(スンドスリ節)し名(なあ)ぬある井戸やん。
「まじゃんがあ」んでぃ読(ゆ)むしが、うぬ意味(ちむええ)や「真謝ぬ井戸」。
今(なま)あ白保(すさぶ)んかいあしが、昔(んかし)え白保から分(わ)かりたる真謝村(まじゃむら)ぬむんやたん。
やしが明和ぬ大津波(ううしがりなみ)ぬ後(あとぅ)、人(ちゅ)ぬ居(をぅ)らんなやあに、白保お波照間(はてぃるま)から人連(ちゅそう)うてぃ来(ち)ゃあに再建(またうくし)さったしが、真謝村あ白保んかい纏(まとぅ)みらってぃ、無えらんなたん。
首里(しゅい)からしがり波被害(げえ)ぬ有様(ありさま)、検(あらた)みいが来(ち)ゃる役人(やくにん)が津波(しがりなみ)なかい埋(う)ずみらったるうぬ井戸ゆ地(じい)ん人とぅまじゅじゅん、復堀(またぶ)いし、今(なま)ぬ如(ぐとぅ)なたんでぃ言(い)らっとおん。
役人ぬ名(なあ)や馬使(んまちか)やあやたる事(くとぅ)んあてぃ、「馬真謝」でぃぬ綽名(あざなあ)得(い)いたん。
うぬ井戸ぬ前道(めえみち)え、白保ぬ豊年祭(ぷうりい)ぬばすぬ「庭(なあ)」んなとおん。
【語句】
写真ぬ中むてぃいぬまんぐらんかいある井戸や=
写真の中ほどにある井戸は
まあにんある井戸やいぎさしが、「真謝節」(スンドスリ節)し=
どこにでもある井戸みたいだが、「真謝節(スンドスリ節)」で
名ぬある井戸やん=
有名な井戸である
。
「まじゃんがあ」んでぃ読むしが、うぬ意味や「真謝ぬ井戸」=
「まじゃんがあ」と読むのであるが、その意味は「真謝の井戸」。
今あ白保んかいあしが、昔え白保から分かりたる=
現在は白保にあるが、昔は白保から分村した
真謝村ぬむんやたん=
真謝村のものであった
。
やしが明和ぬ大津波ぬ後、人ぬ居らんなやあに=
だが、明和の大津波の後、壊滅したために、
白保お波照間から人連うてぃ来ゃあに再建さったしが=
白保は波照間から人々を移住させて再再建されたが、
真謝村あ白保んかい纏みらってぃ、無えらんなたん=
真謝村は白保に吸収され廃村となった。
首里からしがり波被害ぬ有様、検みいが来ゃる役人が=
首里から津波の被害状況を視察にやってきた役人が
津波なかい埋ずみらったるうぬ井戸ゆ地ん人とぅまじゅじゅん=
津波で埋まったその井戸を地元人と一緒に
復堀いし、今ぬ如なたんでぃ言っとおん=
再掘し、現在の形になったと言われている。
役人や馬使やあやたる事んあてぃ、「馬真謝」でぃぬ綽名、得いたん=
役人は馬術師だったこともあって、「馬真謝」という綽名を貰った。
うぬ井戸ぬ前道え、白保ぬ豊年祭ぬばすぬ「庭」んなとおん=
その井戸の前の道は白保の豊年祭の際の会場でもある。
旧日本陸軍高射砲(南城市)
2020/1/15
旧(んかし)日本陸軍ぬ沖縄戦んじ、配(くば)たる実(じゅん)にぬ高射砲やん。
うぬ後(くしゃあ)んかいや海軍ぬ配とおたる魚雷ん置(う)かっとおん。
平和(ひいわ)教育ぬ為(たみ)ぬむんとぅしち、くまんかい飾(かざ)らっとおん。
南部島尻(しまじり)えあいゆかんぬ戦所(いくさどぅくる)やたくとぅ、くんな兵器ぬ見(み)い出(ん)じゃさったせえ、何(ぬう)んふぃるましいむのおあらん。
やしが、終戦から1950年前半(にんまえはんぶん)まんぐるぬ沖縄(うちなあ)や古鉄(ふるがに、スクラップ)世(ゆう)。
沖縄中(うちなあまじり)ぬ人(ちゅ)ん達(ちゃあ)やショベルとぅツルハシ持(む)っち、目(みい)や研(とぅ)ざなやあに、あまくま、兵器ぬ空(殻)骨(からふに)、砲弾(ふうだん)、電線(でぃんしん)うぬ他(ふか)ぬ古鉄(ふるがに)ゆ漁(あさ)ってぃ歩(あ)っちょおたん。
古鉄漁とおる現場(とぅくる)んかいやいいくる毎日(めえにち)、古鉄買うやあぬ馬車(ばしゃ)持(む)っち姿(しがあ)見(み)したるむぬやん。
特(かわ)てぃ、高射砲ぬ空骨そうなむぬお重(んぶ)さくとぅ高(たか)く売(う)らりいたん。
うぬままぬ形(かたち)なかい残(ぬく)とおせえ又(また)、何(ぬう)やかんふぃるましむんやん。
注:時の米国高等弁務官は「沖縄にあるスクラップはすべて米国のものである」と宣言したが、これに耳を貸す県民は殆どいなかった。
【
語句】
旧日本陸軍ぬ沖縄戦んじ=
旧日本軍の沖縄戦で
配たる実にぬ高射砲やん=
配備した本物の高射砲15センチカノ砲である。
うぬ後んかいや海軍ぬ配とおたる=
その後ろには旧海軍が配備していた
魚雷ん置かっとおん=
魚雷も置かれている
。
平和教育ぬ為ぬむんとぅしち、くまんかい飾らっとおん=
平和教育の目的でここに展示されている。
南部島尻えあいゆかんぬ戦所やたくとぅ=
南部島尻はものすごい戦場だったので
、
くんな兵器ぬ見い出じゃさったせえ=
このような兵器が発見されたのは
何んふぃるましいむのおあらん=
何も珍しいものではない
。
やしが、終戦から1950年前半まん頃ぬ沖縄や古鉄(スクラップ)世=
だが終戦から1950年前半は沖縄はスクラップブーム時代
。
沖縄中ぬ人ん達やショベルとぅツルハシ持っち=
沖縄中の人たちはショベルとツルハシを携えて
、
目や研ざなやあに、あまくま、兵器ぬ空(殻)骨=
血眼になって、あちこち兵器の残骸や
砲弾、電線うぬ他ぬ古鉄ゆ漁ってぃ歩っちょおたん=
砲弾、電線その他のくず鉄を探し歩いていた
。
古鉄漁とおる現場んかいやいいくる毎日=
くず鉄を掘り出す現場には、ほぼ毎日
、
古鉄買うやあぬ馬車持っち姿見したるむぬやん=
くず鉄仲買人は馬車で姿を見せていた。
特てぃ、高射砲ぬ空骨そうなむぬお重さくとぅ=
特に高射砲のような残骸は重さもあって
、
高く売らりいたん=
高く売れた
。
うぬままぬ形なかい残とおせえ=
そのままの形で残っていることこそ、
又、何やかんふぃるましむんやん=
何より珍しいのである。
識名御殿(那覇市)
2020/1/1
識
名御殿(しちなうどぅん)や唐按司達(とうあじんちゃあ)、御取(うとぅ)い持(む)ちいする為(たみ)なかいぎれえらったる御殿やん。
琉球風儀(るうちゅうふうじい)ぬ赤瓦家(あかがあらやあ)ぬ他(ふか)なかい、唐風儀(とうふうじい)ぬ屋取(やあどぅい)ん石橋(いしばし)んあん。
去(ん)じゃる戦(いくさ)んじ、無(ね)えらんなたしが、復建(まただ)てぃさったん。
あいゆかんぬゐいりき所(どぅくる)なやあに、今(なま)あ世界遺産ぬんかいなとおん。
観光客(かんこうちゃく)ぬ来(ち)いまんどおくとぅ、良(ゆ)う持(む)ち成(な)しさっとおせえ、当(あ)たい前(めえ)やしが、実(じゅん)に肝(ちむ)ぬうらあきらりいる所(とぅくる)やん。
高所(たかどぅくる)んかいあしが、海(うみ)え見(み)いらん。
唐按司達んかい、琉球(るうちゅう)やてぃん、海ぬ見いらんあたいぬ大国(てえぐく)やんでぃ見(み)しゆる為(たみ)んやたる筈(はじ)やしが、他所国(ゆすぐに)ぬ人(ちゅ)お海、見(ん)じいねえ、故郷(くちょう)あながちささあに、帰(け)えい欲(ぶ)しゃなゆるむぬやん。
琉球んかい淀ど(ゆどぅ)おる間(ゑえだ)びけんちょうん、海え見しらん計(はか)れえやたら。
首里城(うぐしく)ぬ燃(め)えたる後(あと)お、文化財ぬ愛(うじ)らあしく見(み)ゆん
。
【語句】
識
名御殿や唐按司達、御取い持ちいする為なかい=
識名園は中国からの冊封使を持て成すた目的で
ぎれえらったる御殿やん=
建造された建物である。
。
琉球風儀ぬ赤瓦家ぬ他なかい、唐風儀ぬ屋取ん石橋んあん=
琉球風の赤瓦建物の他に中国宮の建物も石橋もある。
去じゃる戦んじ、無えらんなたしが、復建さぃさったん=
戦禍で消滅したが復元された。
あいゆかんぬゐいりき所なやあに、今あ世界遺産ぬんかいなとおん=
とても名勝で今は世界遺産にもなっている。
観光客ぬ来いまんどおくとぅ、良う持ち成しさっとおせえ=
観光客が大勢来訪するので、手入れが行き届いているのは
当たい前やしが、実に肝ぬうらあきらりいる所やん=
当然であるが、ほんとうに癒される場所である。
高所んかいあしが、海え見いらん=
高所に位置するが、海は望めない
。
唐按司達んかい、琉球やてぃん、海ぬ見いらんあたいぬ=
冊封使らに琉球でも海が見えないほどの (注)
大国やんでぃ見しゆる為(たみ)んやたる筈やしが=
大国であると見せつける目的もあったかもしれないが
、
他所国ぬ人お海、見じいねえ、故郷あながちささあに=
(当時は)他所国の人間は海を見るとホームシックになり、
帰えい欲しゃなゆるむぬやん=
帰郷したがったものである。
琉球んかい淀ど(ゆどぅ)おる間びけんちょうん=
琉球に滞在する間だけでも
海え見しらん計れえやたら=
海を望めないようにする気を利かしたのか。
首里城ぬ燃えたる後お、文化財ぬ愛らあしく見ゆん=
首里城が炎上した後は、文化財が愛おしく思える
。
注:当時の冊封使は半年ばかり滞在した。
敷