「いめんせえびり うちなあぐち賛歌」ぬ語句説明


返し石獅子(南風原町)
2020/2/15
 村々(むらむら)んかいある獅子(しいし)んかいや、実(じん)に面白(うむ)さる伝(って)え話(ばなし)ぬあるむぬやん。
 東風平(くちんだ)富盛(とぅむい)んかいや、どぅくだら、まんどおたる火事(くゎじ、ほうはい)ゆ鎮(しじ)みゆる積合(ちむええ)さあに、沖縄(うちなあ)んじ初(はじ)みてぃ、造(つく)らったんでぃさっとおる獅子(しいし)ぬあん。
 やしが、かたがた、うりが南風原町(ふぇえばる)本部(むとぅぶ)んかい向(ん)きらっとおたる為(たみ)なかい、本部(むとぅぶ)ぬ人(ちゅ)ん達(ちゃあ)や、うりんかいぬ返(けえし)しとぅしち、富盛んかい向きてぃ石獅子(いししし)ゆ造たん。
 やしがまた今度(くんど)お照屋(てぃいら)ぬ人ん達や、本部獅子え又照屋(てぃいら)んかいん向きらっとおるんでぃ、けえ思(うむ)やあに、本部んかい向きてぃ、うぬ写真ぬ獅子造たんでぃぬ事(くとぅ)。
 村同士(むらどうさあ)ぬ揉(む)み事(ぐとぅ)ゆ獅子造いさあに、済(し)ますしん、いやでぃん、「平和(ひいわ)風儀’(ふうじい)」やあらに。
 獅子ぬ卑語(愛称、やなくとぅば、かなさくとぅば)あ「シーサー」。今(なま)あシーサーや只(ただ)ぬ物退(むんぬ)き物(むん)とぅけえなとおん。

【語句説明】
村々んかいある獅子んかいや、実に=村々にある獅子にはほんとうに、
面白さる伝え話ぬあるむぬやん=面白い伝え話があるものだ。
東風平富盛んかいや、どぅくだら、まんどおたる火事ゆ鎮みゆる積合さあに=東風平富盛には、あまりのも多かった火事を鎮める目的で
沖縄んじ初みてぃ、造らったんでぃさっとおる獅子ぬあん=沖縄で最初に造られた獅子がある。
やしが、かたがた、うりが南風原町本部んかい向きらっとおたる為なかい=しかし、それがたまたま、南風原町本部に向けられていたことから、
本部ぬ人ん達や、うりんかいぬ返しとぅしち=本部の人々はこれに対抗するために
富盛んかい向きてぃ石獅子ゆ造たん=富盛に向けて石獅子を造った。
やしがまた今度お照屋ぬ人ん達や、本部獅子え又照屋んかいん=ところが今度は、照屋の人々は本部の獅子は照屋に
向きらっとおるんでぃ、けえ思やあに、本部んかい向きてぃ=向けられていると思い込み、本部に対抗して、
うぬ写真ぬ獅子造たんでぃぬ事=その写真の獅子を建てたとのことだ。
村同士ぬ揉み事ゆ獅子造いさあに、済ますしん=村同士の争いを獅子づくりで済ますとは、
いやでぃん、「平和風儀」やあらに=いかにも、平和的ではないか。
獅子ぬ卑語(愛称)あ「シーサー」=獅子の卑語(愛称でもある)は「シーサー」。
今あシーサーや只ぬ物退き物とぅけえなとおん=現在はシーサーは単なる魔除けになってしまった。





真謝井戸(石垣市)
2020/2/1
 写真(しゃしん)ぬ中(なか)むてぃいぬまんぐらんかいある井戸(かあ)やまあにんある井戸やいぎさしが、「真謝節」(スンドスリ節)し名(なあ)ぬある井戸やん。
 「まじゃんがあ」んでぃ読(ゆ)むしが、うぬ意味(ちむええ)や「真謝ぬ井戸」。
 今(なま)あ白保(すさぶ)んかいあしが、昔(んかし)え白保から分(わ)かりたる真謝村(まじゃむら)ぬむんやたん。
 やしが明和ぬ大津波(ううしがりなみ)ぬ後(あとぅ)、人(ちゅ)ぬ居(をぅ)らんなやあに、白保お波照間(はてぃるま)から人連(ちゅそう)うてぃ来(ち)ゃあに再建(またうくし)さったしが、真謝村あ白保んかい纏(まとぅ)みらってぃ、無えらんなたん。
 首里(しゅい)からしがり波被害(げえ)ぬ有様(ありさま)、検(あらた)みいが来(ち)ゃる役人(やくにん)が津波(しがりなみ)なかい埋(う)ずみらったるうぬ井戸ゆ地(じい)ん人とぅまじゅじゅん、復堀(またぶ)いし、今(なま)ぬ如(ぐとぅ)なたんでぃ言(い)らっとおん。
 役人ぬ名(なあ)や馬使(んまちか)やあやたる事(くとぅ)んあてぃ、「馬真謝」でぃぬ綽名(あざなあ)得(い)いたん。
 うぬ井戸ぬ前道(めえみち)え、白保ぬ豊年祭(ぷうりい)ぬばすぬ「庭(なあ)」んなとおん。


【語句】
写真ぬ中むてぃいぬまんぐらんかいある井戸や=写真の中ほどにある井戸は
まあにんある井戸やいぎさしが、「真謝節」(スンドスリ節)し=どこにでもある井戸みたいだが、「真謝節(スンドスリ節)」で
名ぬある井戸やん=有名な井戸である
 「まじゃんがあ」んでぃ読むしが、うぬ意味や「真謝ぬ井戸」=「まじゃんがあ」と読むのであるが、その意味は「真謝の井戸」。
今あ白保んかいあしが、昔え白保から分かりたる=現在は白保にあるが、昔は白保から分村した
真謝村ぬむんやたん=真謝村のものであった
やしが明和ぬ大津波ぬ後、人ぬ居らんなやあに=だが、明和の大津波の後、壊滅したために、
白保お波照間から人連うてぃ来ゃあに再建さったしが=白保は波照間から人々を移住させて再再建されたが、
真謝村あ白保んかい纏みらってぃ、無えらんなたん=真謝村は白保に吸収され廃村となった。
首里からしがり波被害ぬ有様、検みいが来ゃる役人が=首里から津波の被害状況を視察にやってきた役人が
津波なかい埋ずみらったるうぬ井戸ゆ地ん人とぅまじゅじゅん=津波で埋まったその井戸を地元人と一緒に
復堀いし、今ぬ如なたんでぃ言っとおん=再掘し、現在の形になったと言われている。
役人や馬使やあやたる事んあてぃ、「馬真謝」でぃぬ綽名、得いたん=役人は馬術師だったこともあって、「馬真謝」という綽名を貰った。
うぬ井戸ぬ前道え、白保ぬ豊年祭ぬばすぬ「庭」んなとおん=その井戸の前の道は白保の豊年祭の際の会場でもある。






旧日本陸軍高射砲(南城市)
2020/1/15

 旧(んかし)日本陸軍ぬ沖縄戦んじ、配(くば)たる実(じゅん)にぬ高射砲やん。
 うぬ後(くしゃあ)んかいや海軍ぬ配とおたる魚雷ん置(う)かっとおん。
 平和(ひいわ)教育ぬ為(たみ)ぬむんとぅしち、くまんかい飾(かざ)らっとおん。
 南部島尻(しまじり)えあいゆかんぬ戦所(いくさどぅくる)やたくとぅ、くんな兵器ぬ見(み)い出(ん)じゃさったせえ、何(ぬう)んふぃるましいむのおあらん。
 やしが、終戦から1950年前半(にんまえはんぶん)まんぐるぬ沖縄(うちなあ)や古鉄(ふるがに、スクラップ)世(ゆう)。
 沖縄中(うちなあまじり)ぬ人(ちゅ)ん達(ちゃあ)やショベルとぅツルハシ持(む)っち、目(みい)や研(とぅ)ざなやあに、あまくま、兵器ぬ空(殻)骨(からふに)、砲弾(ふうだん)、電線(でぃんしん)うぬ他(ふか)ぬ古鉄(ふるがに)ゆ漁(あさ)ってぃ歩(あ)っちょおたん。
古鉄漁とおる現場(とぅくる)んかいやいいくる毎日(めえにち)、古鉄買うやあぬ馬車(ばしゃ)持(む)っち姿(しがあ)見(み)したるむぬやん。
 特(かわ)てぃ、高射砲ぬ空骨そうなむぬお重(んぶ)さくとぅ高(たか)く売(う)らりいたん。
 うぬままぬ形(かたち)なかい残(ぬく)とおせえ又(また)、何(ぬう)やかんふぃるましむんやん。

注:時の米国高等弁務官は「沖縄にあるスクラップはすべて米国のものである」と宣言したが、これに耳を貸す県民は殆どいなかった。

語句】
旧日本陸軍ぬ沖縄戦んじ=旧日本軍の沖縄戦で
配たる実にぬ高射砲やん=配備した本物の高射砲15センチカノ砲である。
うぬ後んかいや海軍ぬ配とおたる=その後ろには旧海軍が配備していた
魚雷ん置かっとおん=魚雷も置かれている
平和教育ぬ為ぬむんとぅしち、くまんかい飾らっとおん=平和教育の目的でここに展示されている。
南部島尻えあいゆかんぬ戦所やたくとぅ=南部島尻はものすごい戦場だったので
くんな兵器ぬ見い出じゃさったせえ=このような兵器が発見されたのは
何んふぃるましいむのおあらん=何も珍しいものではない
やしが、終戦から1950年前半まん頃ぬ沖縄や古鉄(スクラップ)世=だが終戦から1950年前半は沖縄はスクラップブーム時代
沖縄中ぬ人ん達やショベルとぅツルハシ持っち=沖縄中の人たちはショベルとツルハシを携えて
目や研ざなやあに、あまくま、兵器ぬ空(殻)骨=血眼になって、あちこち兵器の残骸や
砲弾、電線うぬ他ぬ古鉄ゆ漁ってぃ歩っちょおたん=砲弾、電線その他のくず鉄を探し歩いていた
古鉄漁とおる現場んかいやいいくる毎日=くず鉄を掘り出す現場には、ほぼ毎日
古鉄買うやあぬ馬車持っち姿見したるむぬやん=くず鉄仲買人は馬車で姿を見せていた。
特てぃ、高射砲ぬ空骨そうなむぬお重さくとぅ=特に高射砲のような残骸は重さもあって
高く売らりいたん=高く売れた
うぬままぬ形なかい残とおせえ=そのままの形で残っていることこそ、
又、何やかんふぃるましむんやん=何より珍しいのである。




識名御殿(那覇市)2020/1/1

   名御殿(しちなうどぅん)や唐按司達(とうあじんちゃあ)、御取(うとぅ)い持(む)ちいする為(たみ)なかいぎれえらったる御殿やん。
 
琉球風儀(るうちゅうふうじい)ぬ赤瓦家(あかがあらやあ)ぬ他(ふか)なかい、唐風儀(とうふうじい)ぬ屋取(やあどぅい)ん石橋(いしばし)んあん。
 去(ん)じゃる戦(いくさ)んじ、無(ね)えらんなたしが、復建(まただ)てぃさったん。
 あいゆかんぬゐいりき所(どぅくる)なやあに、今(なま)あ世界遺産ぬんかいなとおん。
 観光客(かんこうちゃく)ぬ来(ち)いまんどおくとぅ、良(ゆ)う持(む)ち成(な)しさっとおせえ、当(あ)たい前(めえ)やしが、実(じゅん)に肝(ちむ)ぬうらあきらりいる所(とぅくる)やん。
 高所(たかどぅくる)んかいあしが、海(うみ)え見(み)いらん。
 唐按司達んかい、琉球(るうちゅう)やてぃん、海ぬ見いらんあたいぬ大国(てえぐく)やんでぃ見(み)しゆる為(たみ)んやたる筈(はじ)やしが、他所国(ゆすぐに)ぬ人(ちゅ)お海、見(ん)じいねえ、故郷(くちょう)あながちささあに、帰(け)えい欲(ぶ)しゃなゆるむぬやん。
 琉球んかい淀ど(ゆどぅ)おる間(ゑえだ)びけんちょうん、海え見しらん計(はか)れえやたら。
 首里城(うぐしく)ぬ燃(め)えたる後(あと)お、文化財ぬ愛(うじ)らあしく見(み)ゆん


【語句】
名御殿や唐按司達、御取い持ちいする為なかい=識名園は中国からの冊封使を持て成すた目的で
ぎれえらったる御殿やん=建造された建物である。
琉球風儀ぬ赤瓦家ぬ他なかい、唐風儀ぬ屋取ん石橋んあん=琉球風の赤瓦建物の他に中国宮の建物も石橋もある。
去じゃる戦んじ、無えらんなたしが、復建さぃさったん=戦禍で消滅したが復元された。
あいゆかんぬゐいりき所なやあに、今あ世界遺産ぬんかいなとおん=とても名勝で今は世界遺産にもなっている。
観光客ぬ来いまんどおくとぅ、良う持ち成しさっとおせえ=観光客が大勢来訪するので、手入れが行き届いているのは
当たい前やしが、実に肝ぬうらあきらりいる所やん=当然であるが、ほんとうに癒される場所である。
高所んかいあしが、海え見いらん=高所に位置するが、海は望めない
唐按司達んかい、琉球やてぃん、海ぬ見いらんあたいぬ=冊封使らに琉球でも海が見えないほどの (注)
大国やんでぃ見しゆる為(たみ)んやたる筈やしが=大国であると見せつける目的もあったかもしれないが
他所国ぬ人お海、見じいねえ、故郷あながちささあに=(当時は)他所国の人間は海を見るとホームシックになり、
帰えい欲しゃなゆるむぬやん=帰郷したがったものである。
琉球んかい淀ど(ゆどぅ)おる間びけんちょうん=琉球に滞在する間だけでも
海え見しらん計れえやたら=海を望めないようにする気を利かしたのか。
首里城ぬ燃えたる後お、文化財ぬ愛らあしく見ゆん=首里城が炎上した後は、文化財が愛おしく思える


注:当時の冊封使は半年ばかり滞在した。