比嘉 清 トップページへ戻る  うちなあぐち賛歌   提供 南謡出版
200年前のうちなあぐち「散文」U
「大城崩」昨年不明、田里親雲上朝直作)より  (伊波普猷編、琉球戯曲集より引用)
関連ページ:「200年前の琉球語散文」
原文 現代うちなあぐち(訳:比嘉 清) 日本語(訳:比嘉 清)

外間の子詞
 これや大城若按司のやかあ外間の子。
 あゝ、嶋添大里の按司や、財欲に耽けて、銭金欲しさに、大城城 軍押寄せて、攻囲で居れば、水や無い城 六日になれば、水かつに及で、大按司や出て、討死よめしやうち、女按司と若按司や我が生れ島 東垣花に隠置ちあたん。
 極田舎やれば、敵討ちゆる働きやならぬ、儀間と湖城や我がすと嶋よやれば、那覇近さ彼是のたよりよたしやあて、又儀間湖城んかい引越しやり、かたき討たんてやり節待ちゆる内に、鮫川の按司のやがて大里の按司 討ちめしやいんてやり神のみすゞのあれば、急ぢ思子 御供がらめきやり、鮫川の按司と、打ちつれて、我が按司のかたき大里の按司や討取たん。
 女按司と思子や逃走て居らぬ。下の七間切 野山から手わけ、村々よ探しゆすが、此の二月なる迄も、音信も無いらぬ。聞けば兄思子乳母や中城間切荻堂生れてやりあれば、急ぎ立越しやり、搦め出ちくらに。
 やあやあ、供のきや、荻堂村[ち]きやん。忍び隠れとて、尋ねやり見だに。

(途中、短い台詞群は組踊特有の韻文&擬古文調のため略)

外間の子詞
 (略)大里按司の悪行知らね、語て聞かさ。まづ、大城世の按司や大慈悲なもの、世間とよまれる福人よやれば、城内なかい山よりも高く積であたる宝おの外諸道具まで拾取て、やがて石垣の石も手渡しに持ちやり、大里の城 石垣も清く積みよ改めて、八尋殿十尋殿 高二階も造て、高枕すけて、近方の百姓の妻子の面の清さすや呼寄せて姦ち、又百姓の財物掠取て、悪慾よ尽ちやれば、世の中の障り生ちて置ち済まぬ、討果ちあん。
 悪慾のかんだ根葉苅やり捨てらてやり、搦めとて行きゆん。やあ、供のきや、急ぎ引立てれ。

(以下略))

外間ぬ子詞
 くりえ大城
(うふぐしく)若按司(わかあじ)ぬやかあ外間ぬ子(しい)
 あゝ、嶋添
(しましい)大里(うふざとぅ)ぬ按司や、財欲(ぜえゆく)に耽きてぃ、銭金(じんかに)欲しさに、大城城(うふぐしくぐしく) (んかい)、軍(いくさ)(う)し寄(ゆ)してぃ、攻(し)み囲(かく)でぃ居(をぅ)りば、水(みじ)や無(ね)ん城、六日(るか)になたれえ、水かちに及(うゆ)でぃ、大按司(うふあじ)や出(ん)てぃ、討ち死ゆみしょうち、女按司(をぅなじゃら)とぅ若按司や我が生(ん)まり島 東垣ヌ花(あがりかちぬはな)んかい隠し置(う)ちあたん。
 極
(ぐく)、田舎やりば(やたくとぅ)、敵(てぃち)討ちゅる働ちやならん、儀間(じま)とぅ湖城(くぐしく)や、我が姑(しとぅ)嶋ゆやりば(やたくとぅ)、那覇近さ彼(か)り是(く)りぬ便(たゆ)い良(ゆ)たしゃあてぃ、又、儀間湖城んかい引(ふぃ)ち越(く)しゃい、敵(かたち)討たんでぃやい、節(しち)待ちゅるうちなかい、鮫川(さきがわ)ぬ按司ぬ、やがてぃ大里ぬ按司、討ちみせんてでぃやい、神ぬみしゞぬあたくとぅ、急(いす)ぢ思(うみ)ん子(ぐゎ)、御供(うとぅむ)がらみちゃい、鮫川ぬ按司とぅ、打ち連(ち)りてぃ、我が按司ぬかたち大里ぬ按司や討ち取(とぅ)たん。
 女按司とぅ思ん子や逃
(ぬ)ぎ走してぃ居らん。下(しむ)ぬ七間切(ななみじり)、野山(ぬやま)から手(てぃ)わき(し)、村々ゆ、探(さげ)さしが(かめえたしが)、くぬ二月(たちち)なる迄(までぃ)ん、音信(うとぅじり)ん無らん。聞(ち)きば(聞ちんじいねえ)、兄思子(しいざうみんぐゎ)、乳母(ちいあん)や中城(なかぐしく)間切荻堂(うんじょう)生りんでぃやいありば(生りんでぃぬくとぅやれえ)、急ぢ立ち越(く)しゃい、搦(から)み出ち来(く)らに。
 やあやあ、供ぬちゃあ、荻堂村着ちゃん。忍
(しぬ)び隠りとをてぃ、尋(たじ)にてぃ見(ん)だに。

(途中、短い台詞群は組踊特有の韻文&擬古文調のため略)

外間ぬ子詞
 (略)大里按司ぬ悪行
(あくじょう)知らに、語てぃ聞(ち)かさ。まじ、大城世(ゆう)ぬ按司や大慈悲(でえじふぃ)なむん、世間(しきん)とぅゆまりる福人ゆやりば(やくとぅ)、城内(ぐしくうち)なかい山やかん高く積(ち)でぃあたる宝、うぬ外(ふか)、諸道具(しょどぅうぐ)までぃ拾(ふぃる)い取(とぅ)てぃ、やがてぃ石垣(いしがち)ぬ石ん手渡(てぃわた)しに持(む)ちゃい、大里ぬ城、石垣ん清らく積みゆ改みてぃて、八尋殿(やふぃるどぅぬ)、十尋殿(とぅふぃるどぅぬ)、高二階(たかにけえ)ん造(つく)てぃ、高枕しきてぃ、近方(ちんぽう)ぬ百姓ぬ妻子(とぅじっくゎ)ぬ面(ちら)ぬ清(ちゅ)らさしや呼(ゆ)び寄(ゆ)してぃ、姦(うか)ち、又、百姓ぬ財物(ぜえぶち)掠取(かしみとぅ)てぃ、悪慾(あくゆく)ゆ尽(ち)くちゃりば(尽くちゃぬむんやくとぅ)、世ぬ中ぬ障(さわ)い生ちてぃ置ち済(し)まん、討ち果ちあん。
 悪慾ぬかんだ根葉苅やい捨
(し)てぃらんでぃしち、搦みとぅてぃ行ちゅん。やあ、供ぬちゃあ、急じ引ち立てぃり。

(組踊といえども、長い台詞は口語調で散文調になる傾向にある?)
(以下略)

外間の子詞
 それがしは(主君)大城若按司ぬ守り役外間の子(士族の子などの意)。
 あゝ、嶋添大里の按司(領主)は、財欲に耽けて、銭金欲しさに、大城城に派兵して、攻め囲んだ。(大城城は)水の無い城だったため、六日間で、水渇に及び、(大城城の)大按司は、(城を)出て、討ち死になされ、妃と王子は、わが生れ島である東垣花に匿われていた。
 (そこは)大変な田舎だったので、敵討ち(城の奪回)がままならないところであった。儀間と湖城は、わが姑の故郷であり、那覇に近いこともあって、あれやこれやの音信(便りも便利なところでもあったので、再び儀間や湖城に引越し(移動)して、敵き討ちをしようと、時節を待つうち、鮫川の按司が、近々、大里の按司を討つという神のお告げがあったので、急ぎ、世継ぎ子を、御供申し上げ、鮫川の按司と連合し、わが主君の敵、大里の按司を討ち取った。
 (大里按司の)妃と王子は逃走した。下の七つの間切を 野山から、手分けして、村々を捜索したが、もう二カ月にもなるのに、何の音信(手がかり)も無い。聞くところによると、(大里按司の)王子の兄の乳母は、中城間切の荻堂生まれとのことであり、急いで(当地に)移動し、身柄を確保して参れ。
 さあさあ、ものども、荻堂村に着いた。密かに隠れ、尋ねて見ようではないか。

(途中、短い台詞群は組踊特有の韻文&擬古文調のため略)

外間の子詞(探し当てた大里按司の妻子に対して))
 (略)大里按司の悪行を知らないのか、では話して聞かそう。まづ、大城のご時世における大城按司は慈悲深いお方であったし、世に名高い福人として、城内に山よりも高く積んであった宝、その他の諸道具まで、(大里の連中は)略奪し、やがて城壁の石も手渡しに持ち運び、(自らの)大里の城壁も美しく積み改め、八尋殿、十尋殿(といった)、高二階も建造し、高枕をして、近方の百姓の妻子で顔の美しいのは呼びつけては姦し、さらには、百姓の財物をも掠め取り、悪慾の限りを尽くしたのであるから、(もはや)世の中の害悪、生かして置いてはならなず、討ち滅ぼした。
 (お前等も)悪慾の蔓(根源)(同様であり)、根も葉も苅り捨てようと、搦めていく。さあ、ものども、急ぎ引っ立てい。
(以下略)
その後の展開
 大里按司の男子二人が場天(旧佐敷町)の浜で、処刑されようとしてしているとき、討伐された大里按司の妃が現われ、「敵討ちはわが主人を殺害した時点で済んだのはないか」「兄は継子で、大里按司と血縁関係はない」などを理由に助命を懇願する。これに心を動かされた処刑執行人(外間の子ら)は、「一人は生かして置く、弟の方こそ、まだあどけないので生かしておこう」と少し、態度を軟化さるが、妃はなおも、兄の方の助命にこだわる。ついに、妃の熱心な嘆願に、外間はついに、二人とも許す。妃らは、「けふからの先や敵かたきと思な。行末よしりやり、御友すれよ(これからは敵と思うな、いつまでも、お仕えし友となれと)」などと喜び、「ハッピーエンド」に終わる。
余談:「〜敵かたきと思(む)な」は、八八の韻を踏むため、「うむうな」は強引に「むな」となる。他の例としては、「思(うむ)た叶て」「〜と思(み)ば」などと、琉球語本来の文法を無視し、時に和語に似せ、時に略音するこの手法は組踊台詞では「普通」であり、散文調は土着語に近く且つ文法的表記は、むしろ「異様」となる。